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なぜ分断を煽るのかと聞かれたほーりーが考えたこと

増田俊康さんのジャグリング

先日発売された『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』に言及した記事が、いろんな方に読まれました(上の写真はスター坊主の一人、増田俊康さん。重めの記事を、ちょっと明るい雰囲気にして下さる、ありがたいお坊さんです)。

スター坊主のキラキラした光に焼かれて、ばた足の努力を見ない人達

内容を簡単にまとめると

○スターとか調子に乗って仏教を貶めているという意見が散見された
○根底にあるのは真面目なものがメジャーでないとおかしいというあるべき論
○不真面目に見えるものも、どストレートな仏教を補完する役割がある

というものです。

そしてこの記事をSNSに出したところ、ほーりーが考えていたよりは肯定的な反応が多かったのですが、送られてきたコメントに「なんでそんな分断煽るんですか?」という質問がありました。

スター坊主肯定派と否定派に分かれていた状況

背景を少し説明すると、『スター坊主めくり』(31人のお坊さんが順番に登場する日めくりカレンダー)が出た時、肯定・否定含めていろんな意見が出ていました。



 スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集

 池口龍法 (監修) 便利堂 (編集)

 Amazon で購入

上でも先に紹介しましたが、スターという言葉が頭についたり、ビジュアル重視でちゃらちゃらした(ように見える)ページ構成に、苦言を述べられていた方もいました。

そしてご質問を送られてきた方はカレンダーに登場したスター坊主の一人ですが、賛否分かれて意見の応酬が続く状況に心を痛めていたようです。なので私のブログを読み、火に油が注がれたのではと危機感を覚えたのでしょう。

ですが私自身は分断を煽る意図は、もちろんありません。ほーりーの理想形はあの記事を読んで下さった方が、「スター坊主の企画も、自分達が伝えたい仏教の力になるんだな」と感じ取って頂き、批判をやめることです。

ただしそれが一部の方にはさらに癇にさわり、「分断を煽る」という形に成りうることは否定できないでしょう。

ほーりーとしても有らん限りのボキャブラリーを使って、できる限りの配慮はしました。それでもタイトルなどに多少強い言葉を使っているのは、そうでないと誰の心にも刺さらないためです。

こうした論戦は、格式や伝統を盾にした方が圧倒的に有利ですしね。なのでどうしても肯定派の方が言葉は優しくなるし、追い込まれがちになります。そのような時にすでにあちこちにある優しい言葉を放り込んでも、何の足しにもならないわけです。

なぜ分断を煽るのかと聞かれたほーりーが考えたこと

そしてこの「なぜ分断を煽るのか」という質問を頂いた後、ほーりーもいろいろ考えていました。そして結論として、私は「みんな仲良く」が最優先事項でないことに気がつきました。

(もちろん仲良くするのはダメだと、否定するものではありません)

これまでこのブログでは、目立つ活動が批判されたり揶揄されたりする度に、似たような記事を書いてきました。

美坊主コンテストを痛烈に批判する人が見ようとしないもの

ぶっちゃけ寺を見なかったと誇るお坊さんの、絶望的センスのなさ

不謹慎つぶやきで叩きのめされた元坊主バー中の人は、やはり天才

私は世にないものを生み出して頑張る人を叩く風潮には、敏感に反応する性質があります。今回はその理由を3つまとめてみます。

自分自身も嫌な想いをしているため

私はオウム真理教事件の影響が色濃く残っていた20年前に宿坊研究会を立ち上げ、宗教に関わる怪しい人扱いされたり、少し大げさに言えばテロリストみたいなイメージを持たれたことがありました。

また11年前に寺社コンを作った時には「お寺で出会い系なんて罰当たり」とか、会場として協力をお願いしたお寺から「周りからクレーム来たので、中止させてほしい」など、言われたりもしています。

他にも好奇心の赴くままにあちこち顔を突っ込む性格なので、大なり小なりいろんなことを言われてきました。なのでどうしても周りで批判を浴びてる方を見ると、勝手に応援したくなるのです。

まあ、時には(しょっちゅう?)おせっかいになることもあるかもしれませんが、今回の記事は公式や仕掛人の池口龍法さんから(他にもスター坊主に登場した何人かの方)もお礼言われたので、少しは助けになったのでしょう。

頑張る人を叩く風潮の放置を危険視している

ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者で、マルティン・ニーメラーという方がいます。この方が残した有名な詩に、こんなものがあります。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

比べる対象や深刻度は異なりますが、無関心を装う姿勢は社会の抑圧を強めます。そしてそれはいつ、自分に牙を向いてくるか分かりません。

特に先に挙げた「美坊主コンテスト」「ぶっちゃけ寺」「坊主バー」の事例のうち、前者2つはせいぜい意見の差異ですが、最後のひとつは異常でした。

私は当事者でないのでSNSなどで目に見えた発言や状況からの判断ですが、自分たちが気に入らない相手を潰しにかかる言葉の数々には、当時ハッキリと狂気を感じたものです。

あれを見て以降、私はお寺社会が持つ暴力性というものを、かなり意識するようになっています。

次世代のスター坊主を応援したい

出版した本の著者プロフィールに「20代の寺社旅研究家」と書かれたほーりーも、いつの間にやらアラフォー世代となりました。

そしてこれだけ長い間、寺社に関わってきた身としては、下の世代が動きやすい環境を作ることも大切と考えています。特にゼロから活動をスタートさせる人間に取って、批判圧力の強弱は進退を左右します。

このブログでは以前、浄土真宗本願寺派には黄金サイクルが生まれているという記事を書きました。

テクノ法要に見る、西本願寺に現れた黄金サイクルの兆し

これはお坊さん個人の活動が、本山や大寺院でどんどん拾い上げられている。それが周りのチャレンジ精神を触発し、本願寺派のお坊さんはいろんなものを生み出し始めているという話です。

私はお手社会全体にこれが起こってほしいし、現在起きている流れは止まってほしくありません。なのでその意味でも挑戦者を叩きたがる風潮に、きっちりNOを突き付けていくことは大切だと考えています。

ということで、、、

いろいろ書きましたが、ほーりーは自分の言っていることが、全てにおいて正しいとは考えていません。もちろんほーりーの意見を圧力と考え、自分の邪魔になると思われる方もいるでしょう。

スター坊主企画も、私は全体を見ればお寺にとってプラスと考えていますが、個別で「お坊さんってこんなにちゃらちゃらした人ばかりなの?」と、がっかりされる人が出ることはあり得るでしょうし。

上述した分断が深まることを心配された方のご意見だって、とても大切なことと感じますし。

なので正しさなんて視点や立場、目指すべき方向によって、いくらでも変わるものです。

だからこそほーりーは、「みんな仲良く」を最優先事項にするつもりがありません。考えが異なっても仲良くできるなら仲良くしたいですし、表面上だけ薄く大人の付き合いができるならそれも良しです。そしてそれすらも無理な場合は、お互いに邪魔しない辺りで幸せにやっていけばいいんじゃないでしょうか。

以前、こんな記事も書きました。

発言に怒る価値はないが、傾向に怒る価値はある

お互いに離れることを分断と言うならそうなのかもしれませんが、ほーりー的には個人を血祭りにあげない限りは単なる住み分けかなと思っています。

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