仏像修復現場を体感しながら、生きる姿勢まで考えさせられた『壊れても仏像』
壊れても仏像―文化財修復のはなし 飯泉太子宗(いいずみとしたか) 著 |
平安時代と江戸時代に作られた仏像はどちらが壊れやすいか?
実は壊れやすいのは江戸時代の仏像です。
なぜなら平安時代の仏像は一木造りが多いのに対し、
江戸時代の仏像は多くの部材を組み合わせた寄木造りであるから。
それならなぜ、江戸時代には寄木で仏像を造ったのか。
それは寄木造りが入手困難な大きな木材を必要とせず、
コストパフォーマンスに優れた画期的な仏像制作方法であったため。
江戸時代にはそれほど大きくなくても
部材数が百近くにもなる仏像があるそうです。
確かに小さく分けて作れば木材は安く手に入りますが、
接着剤が劣化すればバラバラになってしまう。
そんな外から見ただけでは分からない、
仏像の物語がたくさん紹介されています。
例えば彩色に用いる顔料の話。
例えば鎌倉時代以降に流行った玉眼の話。
はたまた胎内から出てくる納入品や神像と仏像との違いなど。
この辺は仏像が好きな方は、
一ページめくるごとにワクワクする場所かもしれません。
(というか、私がめちゃくちゃワクワクしながら読んでいました)
また、仏像の制作年代を測定する「年輪年代測定法」や、
仏像を解体せずに中身を調べる「X線透過装置」「ファイバースコープ」、
消えた墨文字を判別する「赤外線」などは、
古くから伝わる仏像と現代とが巡り合った瞬間にすら感じられます。
そもそも博物館や美術館で鑑賞できる仏像の中で、
まったく修理を受けていない仏像はほとんどないと言っていいでしょう。
そんな仏像修復の現場に立ち会えるような臨場感が本書の魅力です。
数えることもできないような無数の虫穴を一つ一つ埋めたり、
数ミリ単位で剥がれかかった漆や彩色樹脂を注入したり。
時には解体した仏像からネズミの巣が出てきたり、
突き立てた指が入っていくくらいに木材が腐っていたり。
文化財修理は、ひたすらに地味で地味で、
どうしようもなく地味な作業にこそ、その本当の意味がある。
著者の飯泉さんはそのように記されていますが、
仏像が今も美しい姿で拝むことができるのも、
こうした地道な修復に携わる方がいるおかげです。
仏像の中には作られた年代や仏師の名前、
さらにはその後に時代を経て修理した人の名前なども、
墨書きされて出てくることがあります。
また、飯泉さんも修理した者として、
銘文を取り付けることがあるそうです。
文化財の修理という仕事は、百年先、二百年先を見越して、
物づくりをしなければ失格である。
そこには昔から受け継がれてきた仏像の魂を、
次代につなげる職人としてのプライドが垣間見られます。
私がある意味で本書の最もすごいと思った点は、
修理の際に出たホコリをすべて捨てずに取っておいて
持ち主に返却するというくだりです。
たとえチリ一つであっても文化財の価値を修理者が判断しない。
もしかしたら今は無理でも、
千年後にはほこりから何かが分かるかもしれない。
次代につなげる。チリ一つ粗末に扱わない姿勢が、
そこには表れているのだと感じました。
(私もそんな姿勢で生きていきたいです)
仏像について一通り以上のことを学んでみたいと思ったら、
本書はかなりお勧めできる書籍です。
文体も内容も読みやすい上に、仏像の見方が一歩ランクアップします。
『壊れても仏像』。これは自信を持ってお勧めできる良書です。
壊れても仏像―文化財修復のはなし 飯泉太子宗(いいずみとしたか) 著 |