平和を祈念し、比叡山から東京まで歩いたお坊さんから聞いた話
比叡山で1年間修業され、100日間の回峰行を行われた天台宗僧侶の小野常寛さん。修行の終わりに比叡山から東京にある自分のお寺(普賢寺)までお金を持たずに歩いて帰る宣言をされたことを、先日紹介させて頂きました。
比叡山で修行を終えるお坊さんが、平和を祈念して東京まで歩きます
この記事はかなり多くの方に読まれ、私のフェイスブックやツイッターなどにも応援メッセージが書き込まれました。そしてこの寒い季節に歩き続けるなんて大丈夫? と、心配されていた方もいたので、無事にお寺に辿り着いた小野さんに会ってきました。
ということで、今回は小野さんの帰山報告というか生存確認というか。「あのお坊さん、大丈夫だったかな」と思われている方に、元気な姿をお送りします。
小野常寛さんが、平和を祈念して歩かれた道
まずはバストショットをパシャリ☆ 私も元気なお姿を見て、安心しましたよ。
それで小野さんが歩いた行程を改めて紹介すると、滋賀県にある比叡山から東京都府中市の普賢寺までのコースです。地図で表すと、こんな感じです。
滋賀・岐阜・愛知・静岡・神奈川・東京と、一都五県にまたがる475kmのコース。こちらを13日かけて横断されました。移動距離が長かった日は、一日に70キロも歩かれたとのこと。どひー。
そして今回の行脚の特徴は、小野さんがfacebookで宿泊先などをご提供頂ける方を事前に募集されていたことです。この方法には応援・批判様々なご意見がありました(なぜか、私のところにも)。
応援の言葉は小野さんが掲げた「平和を祈念して歩く想いに共感する」、「この寒い中で長距離を歩く力になりたい」、「お坊さんの挑戦にありがたみを感じた」などです。
一方、批判の言葉は「修行は人に見せびらかすものではない」「事前に宿泊先を用意したのでは修行にならない」「人の善意を当て込むのはいかがなものか」といったものがありました。
まあ、批判される方の話も分からなくはないですが、ほーりーとしてはこの上空をミサイルまで飛ぶ殺伐としたご時世に、「平和」を祈り多くの方と共有したいと願われる気持ちは支持したいと思っています。
もともと知り合いでもあったので、最初に投稿を見た時に「ちゃんと帰りつけるか? これ」と不安を感じて告知のお手伝いをしたこともありますが。
そして同じように「応援したい」と思われたのか、「何とかしないと」と使命感に燃えたかは分かりませんが、実際に道中では多くの方が小野さんの旅を支えられました。お寺や神社、一般の家庭などでも迎え入れられ、泊めてくださったり食事をご一緒させて頂いたとのことです。
また本当は11日間で歩く予定だったものの、無理しすぎて途中で38度の熱を出し、2日間寝込んだ日があったとのこと。しかしそんな時にもゆっくり休んでいきなさいと部屋で寝かせて頂いたそうです。こうした暖かなご支援がなければ、小野さんが無事にお寺に帰り着くことはなかったでしょう。
いや、本当に。高熱出してその辺で倒れていたら、普通に命のピンチですよ。シャレになりません。
ついでにほーりーのブログを読まれた方も、5~6人ほど食事や宿泊でお世話してくださったそうな。この場で私からもお礼しておきます。ありがとうございます。
小野常寛さんが、道中歩きながら感じた事
そんなわけで生存報告終了~ですが、せっかくなのでこの旅を通じて小野さんが考えた事、感じたことを語って頂きました。ほーりーの旅のテーマは「人生を変える寺社巡り」ですからね。ここ、大事。
小野さんは朴訥な方なので淡々と語られるのですが、その中でも一番多く出てきた言葉は「自然にゆだねる」というものでした。
この自然は言葉の通り山や森、湖、川などだったり、もうちょっと広義的に仏さまや神さまと言った超越的な存在も含まれていましたが、日本はこの「自然が豊かだ」ということを実感されたそうです。
各地各地で人の暮らしにふれて、それぞれ毎日を一生懸命生きている。地域ごとにお寺や神社があり、それが古くから受け継がれている。
この感覚は、ほーりーも共通して(るか、分かりませんが)持つところがあります。一週間の歩き遍路をしたときは、美しい山々や田園風景を見たり、台風直撃して渡ろうとしていた橋が水没したり、足の豆を消毒した針でつぶしたり、通りすがりの方にご接待して頂いたり。
あー、だいぶ前のことですが、思い出します。こういうのって、本当に理屈じゃないんですよね。原体験の凄みというか、いろんな方がそれぞれご自身の体験を通して、多かれ少なかれ似たことを感じた瞬間があると思うのです。
自分は生かされているんだなとか、すんごくちっぽけな存在なんだなとか、大きなものに包まれているとか、人によって表現も変わるでしょうが。
そしてやはりこれらは、都心部だけで暮らしていると見過ごしがちになる。でっかい山と、あほみたいにもくもくした雲と、へとへとに疲れた筋肉痛の身体が必須条件なのかもしれません。
天台宗では「一隅を照らす」という言葉を、非常に大切にされています。小野さんの言葉では隅々までこうした自然があることが平和であり、それを実際に目で見て肌で感じることができたことが旅の中で得たものとのことでした。
また僧侶がどのように見られているかも感じたそうです。初めて出会った方にご飯や布団を用意して頂いて、さらに「ありがとう」と言われる。それは自分にではなく、僧侶としての背後にあるもの。仏さまや自然全てへの感謝ではないかと思い至った時に、僧侶として何ができるかを考えたそうです。
ほーりーの私見で言えば、小野さんの中でゆだねることと感謝することは、一続きのものなのかもしれません。
ちなみにfacebookには旅を終えた後の感想として、以下のように書かれていましたよ。
1日70km歩いた日もあれば、熱で寝込んで0kmの日もありました。
フラフラになって歩いたり
痛み止めで騙し騙ししながら歩いたり
意気揚々と峠を越えたり
悪寒と鳥肌を感じながら歩く場所もあったり
街で忌避な目で見られたり
googleさんに「嘘つき!道ないじゃん!」と憤ったり
田園で夜の星の綺麗さに時を忘れたり
頂いた美味しいおにぎりを涙ながらに食べたり
ぼーさん!これでなんか食べろよ!と神社でお布施をもらったり
ドライバーが合掌して会釈してくれたり
家族のように皆さん迎えてくださったり
本当に人生みたいだなぁと感じました。
ということで、、、
今回の取材中、小野さんは「国際的な僧侶になりたい」とおっしゃられていました。最初にお会いしたのは3年前のことですが、その時にもこの言葉はお聞きしています。
もともと小野さんは経営コンサルティング会社に勤めて資本主義の最先端で働かれていた経歴を持ち、その後に自分が生まれ育ったお寺に戻って僧侶になられた方です。そして結縁企画という会社を立ち上げ、さらに今回は比叡山で回峰行をされるなど、まさに両極端の世界を行ったり来たりしています。
社会の濁流に飛び込み、宗教の厳粛にも身を投じる振幅の激しさが、「国際的な僧侶」という目標を持たせるのかもしれません。
そしてまずはこれから、世界各国の方が訪れるお寺を作っていきたいとのこと。そのために今回の旅は日本の良さを伝える上でも大きなヒントになったようです。
果たして小野常寛さんが、これからどのような道を歩まれていくのか。注目したいと思います。ご興味ある方は普賢寺と結縁企画が行っている寺カフェなどもご覧くださいませ。
あ、ちなみにお寺に戻られた後、1年間の修業期間中待ち続けられていた彼女と入籍されたそうですよ。Congratulations on your wedding!(国際的なお坊さんに、ほーりーも苦手な英語で頑張ってみました)