歳を取るごとに友達を祝福できなくなってきたなら、祝福しなければいいんです。
寺社コンの懇親会で、年齢が上がるに連れて友人からの結婚や出産報告に心からおめでとうと言えなくなってきたと仰られていた方がいました。そしてそんな自分が嫌で、嫌悪に陥るとのこと。この気持ちはとても良く分かります。
相手が大切であればあるほど、祝福したい気持ちとできない気持ちが衝突します。仲の良い相手が一歩進めば、距離の離れる寂しさも、取り残された焦りも素直な心のありようです。祝福できないのは大切にしていないからではないんですね。
私の意見としてはこのようなとき、無理にお祝いの言葉を述べる必要はないと思います。または形だけにして、少し距離を置くのも良いでしょう。
私が考えるに、人生は想像以上に長いです。その全ての期間で人の幸せを素直に祝福できる方が不自然です。むしろそんな期間の方が短いかもしれません。ですので、おめでとうと心から言えないのなら、その言葉を言えるまで保留しておいてもいいじゃないかと思っています。
1年後に言えるか、5年後に言えるか。それとも一生言えないかは分かりません。ただ祝福を保留するのであれば、おめでとうと言える段階まで努力することと、同じように自分に良いことがあった時、おめでとうと言えない人の気持ちにも立てばよいだけです。
非のうちようのない幸せも、人を傷付けることがあります。それを自覚しておくだけで心はちょっと軽くなりますし、劣等感だって決して自分を責めるためにあるのではありません。
そして最終的には少しずつ、自分の境遇とは切り離して人を祝福できるようになれば、それはとても素晴らしいことですね。