お葬式をお祝いの場にすることは、葬儀離れにくさびを打つ
今月(2024年5月)の月刊住職で、お葬式を楽しく明るいものにしてみてはという提案を書きました。そしてfacebookで紹介したら、いろんなお坊さんからポジティブな反応を頂きました。
似たようなことは以前に出版した『お寺は外からこう見える』という本でも書いていますし、数年前にこのブログにも載せています。
そこで今回は改めて、この話題を深堀してみます。
お葬式に悲しみ以外の感情が増えている
ほーりーは一昨年に義父を、去年に実父を、今年は伯母を亡くして葬儀に参列しました。大切な人がいなくなるのは悲しいですし、父が亡くなった時はやはりショックです。ただそれでも、涙一辺倒というわけではありません。入院が続いて身体が弱り、そろそろという覚悟はできていたので、お葬式でも家族に笑顔はありました。
そしてお坊さんと話をしていても、このような話はよく聞きます。若い人とおじいちゃん・おばあちゃんが亡くなった時とで、遺族感情に差があるのは不自然ではないでしょう。
もちろん悲しみがゼロになるわけではありませんが、「悲しみ3割、納得7割」とか、感謝や故人の苦しみが終わる安堵など、様々な想いが含まれています。ですが現在のお葬式は悲しむことを強いられ、陰鬱に振る舞うことを求められることがほとんどです。
通夜振る舞いや精進落としでは気軽な場合もありますが、葬儀のみに参列する方は悲しみ以外の感情を表現しづらいところがあります。これでは遺族も参列者も気を使いますし、お葬式の規模が縮小したり省略される遠因にもなっていきます。
お葬式が悲しみ一辺倒ではなくなっている背景
そもそも日本社会の中で、死はどのように変化しているか。パッと思いつくのは、寿命が延びて大往生される方が増えていることです。
厚生労働省の情報によると1947年に男性50.06歳、女性53.96歳だった平均寿命は、2022年にそれぞれ81.05歳、87.09歳となっていました。
またこれに付随して、長寿へのあこがれも変化しているかもしれません。ほーりーが以前に行った「生老病死の中で、どれが一番の苦と思うか」というアンケートでは、「病」が一番で「死」が最後でした。
こうした結果を見ると、現代人は死ぬことより苦しみながら長生きすることを怖れていると言えそうです。それは裏返せば、そうした姿をたくさん見ているということでしょう。
例えば認知症患者数は年々増加しています。そしてこれから、さらに増えると予想されています。
亡くなる場所も変化しています。病院死数をグラフ化すると、この50年で劇的な変化があったことが分かります。1970年代後半に自宅と病院で亡くなった人数が逆転し、それ以降は大きな差が付くことになりました。
近年になって病院死は減りましたが、その分増加しているのは老人ホームなどで亡くなったケースです。このように病気で入院したり介護施設で人生を終える方は今後も主流と考えられます。
実際にほーりーの父親が亡くなった時も、こうした流れに沿ったものでした。お葬式の時は悲しみの他に「これまで頑張ったね」という想いが強く湧いてきたのを覚えています。
と、いうことで、、、
日本には各地で、お葬式に赤飯を出す風習がありました。これは寿命を全うしたことはおめでたいことと考えたり、極楽浄土に行く門出の意味もあったようです。
また2024年1月に亡くなった電撃ネットワークのリーダー・南部虎弾さんのお通夜と告別式は、喪服禁止で行われたとの報道がありました。赤や緑など派手な色の服装やコスプレ姿の参列者が集まった写真がニュースに流れましたが、故人の人柄を偲ぶ上でこれほど印象的なお葬式も他にはなかったかもしれません。
他にも人気アニメ『ちびまる子ちゃん』でまる子役を演じていた声優のTARAKOさんが亡くなった時には、生前に自身の葬儀について「喪服は着ないで」と要望していたとニュースで紹介されました。
お葬式をお祝いの場にするとか、楽しくにぎやかにしようなどと述べれば、不謹慎だ、死を喜ぶべきではないなどと批判が飛んでくるかもしれません。そしてこうしたお葬式を行う人も、実際には1000人に1人もいないでしょう。
しかし慣習とぶつかりながらも新たなお葬式を望む方は、それだけ死に対する意識や故人への想いが強い人です。そうした情熱を可視化することは、世の中にある「お葬式とはこんなもの」という先入観にくさびを打ちます。
台湾のお葬式凄いな。寿って書いてあるし。僕もこんなお葬式で送られたいな。 [pic.twitter.com/k60Jdusdtx](http://pic.twitter.com/k60Jdusdtx)
— 西久保剛。 (@nishikubotsuyo) June 9, 2020
それはきっと普通のお葬式を求める大多数の方にとっても、仏事や供養ごとを立ち止まって考える機会になると、ほーりーは考えています。