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誰かを殴らなければ生きていけないお坊さんに伝えたいこと

誰かを殴るお坊さん

私のFacebookでつながっている友達の半分くらいはお坊さんです。なのでお坊さん達が何を考えているか、どんな行動を取っているかを、私は毎日見ています。

それで本題ですがここ数年、お坊さん達の様々な活動が、世間的に脚光を浴びることが多くなってきました。

その一方でごくごく一部ですが、あの活動は教えに反している、このインタビューは仏教的に間違っていると、目立つ人を見つけては常に上から目線で「正しい仏教」を論ずる方もいます。

私は新しい活動への検証は大切なことと考えています。ですが次から次へと相手を変えて名指し批判する人が検証すべきは、他人ではなく自分です。

そもそも生みの苦しみを本当に知っている人であれば、目についた気に入らない活動にも、そこには自分の思い至らぬ問題意識や志が練りこまれていることを想像できます。

逆に言えば他人が思いつきだけで、何も目指すべきものなく行っていると簡単に思える人は、自分がそうやって何も考えず、何も作り出さずに生きているからでしょう。あなたが反射的に間違っていると思うことの大半は、熟慮の上で世に送り出されているのです。

私の見たてでは、Facebookであるべき仏教をたびたび論じるお坊さんは、ほぼ自分で考えた行動は何もしようとしない方です(一人だけ標的を次々見つけて殴りかかりながら、自分でもいろんなものを作られている方がいますが)。

例えばテレビ番組ひとつとっても、昔はオネエ住職のようなキャラのたった芸人寄りな方が活躍していました。これを苦々しく思っていた方はいたようですが、こうした人がいなければ、今のぶっちゃけ寺のような番組ができる下地は出来上がらなかったでしょう。

そしてぶっちゃけ寺もまた、いろんな批判を浴びせるお坊さんはいますが、あの番組以降お寺やお坊さんに好意的な目を向ける人や仏教自体に関心を持つ人も増えています。

この辺の私の考えは、こちらもご参照ください。

美坊主コンテストを痛烈に批判する人が見ようとしないもの

お坊さんバブルで仏教が消費されることを危惧する方へ

別に新しい活動をするしないは個人の意思ですし、新しくて目立つ活動ばかりがえらいとも思いません。

ですが新しいものは、昔から受け継がれているものより、必ず多くの穴や隙があります。それに対して何も生み出さない人が安全地帯から文句を言っても、場違い感しか漂わないのです。

こういう人を見ると疲れる
この人は本当にお坊さんなのか
こんなことをしていたら、仏教は廃れてしまう

こうした投稿をfacebookに繰り返し上げるお坊さんがいれば、その人こそ自分が本当にお坊さんであるか、問い直した方がよいでしょう。少なくとも仏教は、優越感や正義感で他人を殴りにいく道具ではなかったように、私は感じています。

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