インド仏教徒の最高指導者・佐々井秀嶺師のお話を目の前で聞いてきました。
いきなりですが、インドの人口ってどのくらいか知っていますか? 中国(約13.5億人)に次いで人口が多いというのは聞いた方も多いと思いますが、2015年現在で12億人以上です。ちなみに2026年には中国を抜いて世界一位になるという予測もあります。
そしてインドと言うと、何を思い浮かべますでしょうか。カレー、ガンジス川、お釈迦様が生まれた国。中には0を発明したのはインド人とか、IT産業で優秀な人材を多数輩出しているなど、数字に強いイメージを持つ方もいるかもしれません。
しかしそんなインドの宗教人口を見ると、不思議なことに気がつきます。
出典:外務省 インド基礎データ
上のグラフは2001年に調査されたものでちょっと古いですが、外務省のサイトに掲載されているインドの宗教人口比(を、私がグラフ化したもの)です。
仏教徒は0.8%と、仏教発祥の地とは思えない数字が目に入ります。しかしこれだけの数字でも、12億人強の0.8%で1000万人くらいの方がいるのです。
そして実はこのインド仏教徒の最高指導者に日本人僧侶がいると言ったら、驚かれるでしょうか。その名前は佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)師。インド国籍を取得しているので正確にはインド人ですが、日本人として生まれたお坊さんです。
今回はその佐々井師が来日される、しかも私がいろいろと顔を出させて頂いたりお世話になっているお坊さんへの相談サイトhasunohaの企画で講演会が催されるということで、お邪魔させて頂きました。本当は僧侶オンリーイベントだったのですが「取材においで」とお誘い頂いたので、お坊さん達の中に飛び込んできました~。
いや、しかし佐々井師のことは前からお名前だけは知っていましたが、正直言って雲の上というか月の向こうにいるような存在で、まさかこんな目の前でお話を聞く機会があるとは思わず、めちゃくちゃびっくりしましたよ。
そんなわけで、佐々井秀嶺師。そもそもこの方がどんな人物かと言うと、インド政府少数者委員会(マイノリティコミッション)の仏教徒代表に、2003年より3年間就任された方です。この組織は宗教間の融和を図り、少数者の意見を政府に反映させるために設けられたもので、佐々井師の著書によると地位は州大臣と同格とのこと。いわば、インド仏教徒全体の声を発する立場です。
仏教徒が少数派であることは上に書きましたが、インドではヒンドゥー教における身分制度・カースト(制度上は廃止されている)が社会に根付いています。
特に最下層の人に対する差別は横行しており、佐々井師の言葉によると「アウトカーストはゴミもゴミ、垢も垢、汚れも汚れ」として扱われているそうです。そうした方々をヒンドゥー教から仏教に改宗させて差別撤廃を目指すことに、佐々井師は半生をささげてきました。
また、ヒンドゥー教徒の管轄にあった大菩提寺を仏教徒へ解放するための闘争や、大乗仏教興起の地であることを検証するためのマンセル遺跡発掘・保存調査など、インドでの仏教の地位向上を目的とした多岐に渡る活動を指導されています。
それらはヒンドゥー教徒(の、カースト上位層)にとっては自分達の権益を侵害されることに他なりませんから、政治的、法律的な争いから実力行使に至るまで、あらゆる面で激しい争いが繰り広げられました。その最前線に位置していたのが、この佐々井師なのです。
ちなみにこの宗教間の対立が渦巻く複雑な社会構造も、上に書いた仏教徒の割合に現れています。仏教徒が全インド人口の0.8%というのは国勢調査の結果ですが、インドでは戸籍に宗教を記載する欄があります。そして仏教徒の多い不可触民と言われていた階層は、現在OBC(Other Backward Classes)と記載されるのです。
簡単に直訳すれば、「その他のクラス」ですね。元不可触民階層はそもそも貧困層が多く、その優遇をもらうためにOBCとして登録する場合が多数あります。また調査員の多くはハイカーストであり、貧困層への立ち入り調査を嫌ったり、ヒンドゥー社会を脅かさないようにと仏教徒を少なく見積もる傾向もあるとのこと。
なので、公式な統計上ではインド仏教徒は1000万人程度ですが、実数としてはその何倍もいて、佐々井師を支援する南天会のサイトでは、「およそ1億人とも言われる」と記載されていました。なので佐々井師が紹介されるときにはよく、「インド仏教徒一億人の頂点に立つ」とも言われたりします。なんというか、怖ろしいお立場です。
↑写真は今回、佐々井師を招かれたhasunoha井上広法代表と、五百羅漢寺佐山拓郎住職
今回の講演で最も印象に残ったのは、仏教における闘いについての考えです。「黙っていたら、何もできない。立ち上がって、まず勉強する、団結する、闘争する。それが不殺生なのだ」というお言葉は心に突き刺さりました。
ガンジーの非暴力とも異なる佐々井師の不殺生。これはインドという地で、不当な迫害を受け続ける側に立つからこその言葉かもしれません。
佐々井師はすでに79歳とご高齢ですが、32歳でインドに渡った時から差別と闘い、仏教徒の地位向上に尽力し、何度も裁判を起こし、起こされ、稼いだお金も遺跡発掘や寺院建立に使い切り、時には病に倒れ、毒にやられ、死の淵に立つまで断食をして、インドという国の混沌の中でもがきながら、道を切り開かれてきました。
少数派に立つとはどういうことか。社会の枠に入れなかった世界に何があるのか。マイノリティとは何か。その言葉から、姿から、生き様を見るだけで震えが湧きたちます。仏教って教義とか作法うんぬんよりも、出家者としてのポジション取りなのだと思い知らされますね。100万のお経の言葉を語れるお坊さんより、安全な場所を飛び出していけるお坊さんの方が、よほどしびれますし。
そして最後に集まったお坊さん達との質疑応答がありましたが、「仏教は慈悲が一番」というお言葉もありました。激しく戦いながらも慈悲の心を深く持ち続けているからこそ、異国から来た人間でありながら最高指導者として敬われ続けているのでしょう。
この話は飲み込むには大きすぎる。ほとんど咀嚼できてはいないのではないかという不安と、当たり前のように自分が享受している多数派に守られた社会とに、目の前で話をお聞きしながら月よりさらに遠い人物から学んだ生きる姿勢を噛みしめた一日でした。
ちなみに会場は目黒の五百羅漢寺。釈迦如来像の周りをたくさんの羅漢さんが取り囲んで説法を聞くシーンを再現した、仏像好きには有名なお寺です。なんというか今回の講演は、この本堂そのままの再現のようでしたよ。
それともしも佐々井秀嶺師にご興味持たれたようであれば、以下の本がお勧めです。帯の裏に書かれている「いろいろ問題は絶えませんが、しかし、まあ、インドは面白いや」というお言葉。人生訓としてもすごく胸に沁みました。
求道者(サンガ新書) 佐々井秀嶺 著 |