常識知らずと言われたら、信念に基づいて行動すればよい
寺社旅研究家なんて謎な職業をしていると、未来にアンテナを張る努力がとても大切になってきます。
世の中に役立つものは何か。それは寺社とどうつながるか。それをいつも探り続けているのですが、新しいものを考えると周りから否定的な反応が返ってくることは日常茶飯事です。
「常識知らず」とか「そんなことをしてはいけない」とか、「いつか罰が当たりますよ」とか。
そこでこうした否定反応と向き合うために、ほーりーが考えているタブー論を今回は紹介します。
ほーりーが経営者の前で語った2種類のタブー
以前、経営者が多く集まるイベントに招かれた時、『タブーを超える7つのアクション』というお話をさせて頂きました。
世の中には様々なタブーがあります。そして私はタブーには、二つの種類があると考えています。
一つは規範として有効であり、犯してはいけないもの。これは本来の意味でのタブーです。しかしもうひとつとして、すでに形骸化しているけれど誰もが踏み込むのをためらう領域もあります。
これを図にまとめると、こんな感じです。
一例を挙げると、私は20代前半まで小説家を目指していました(余談ですが二回、賞を頂いたことがあります)。そのとき、とある小説家の先生から絶対に書いてはいけないストーリーとして「人食い」があると教わったことがあります。
この話を聞いてから、私は人食い(カニバリズム)が世の中でどのように表現されているかを見てきました。そして結論としては、タブーは決して普遍的なものではないということでした。
直近で一番目を引いたのは、やはり『進撃の巨人』でしょう。この漫画は人間が巨人にばくばく食われる物語です。描き方の配慮はあれど、かなり直接的な表現も目立ちます。
進撃の巨人 諫山創 著 |
また、さかのぼれば岩明均『寄生獣』も大ヒットしています。これも人間を乗っ取る寄生生物が、人をばくばく食べる話でした。こちらの連載は私が「人食いはタブー」という話を聞くよりさらに前です。
寄生獣 新装版 コミック 全10巻完結セット (KCデラックス アフタヌーン) 岩明 均 著 |
私がタブーの意味を深く考えるようになったのも、人食いがタブーという話がもやもやと引っかかっていたところに、寄生獣が実写映画化されたことでした。完結から約20年も経って映画化したのは版権の問題が大きかったようですが、この物語が実写で発表されても良いんだというのは、私の価値観を揺さぶった出来事です。
そしてWikipediaを見ると以下の記述があり、タブーの境界はかなり繊細に模索されていたようです。
人体が損壊する瞬間ははっきり見せないといった自主規制には従いつつ、人体の切断面はグロテスクにせず臓器と骨の層構造を美しく見せるという方針が取られ、パラサイトが人間を捕食する場面も自然ドキュメンタリー番組のような映像を意識し、野生動物の狩りのように演出することが意識された
進撃の巨人も寄生獣も、「人に似たもの」が人を食べています。人そのものが人を食べる作品では、まだここまでの大ヒットは(たぶん)生まれていません(古典には結構、あるっぽいですが)。そうした意味でこのタブーは、表現と生理的嫌悪のぎりぎりがせめぎ合っているのでしょう。
タブーと心理抵抗を分けるのは、信念が見いだせるかどうか
こうした時代やレイヤーによって変化していくタブー。私は生きた規範と、形骸化して心理抵抗だけ残っているものを分ける境界は、そこに信念が見いだせるかどうかだと考えています。
上で紹介した経営者向け講演では、以下の話をさせて頂きました。
タブーを超えるためには本気が必要という話で締めたのですが、本気を出すためには信念のあるものに挑む必要があります。例えばお寺や神社での婚活企画『寺社コン』も、私が最初に作った8年前は好意的な目ばかりではありませんでした(今もそうでしょうが)。
それは作った時から分かっていて、第1回目を公開した時は最後のクリック手前で何度もやめようか悩みました。
しかし寺社好きが同じ趣味の人と出会う機会はあまりなく、そうした場が作れたらきっと人を幸せにできる。それは関係ない人から悪く言われても挑戦する価値はある。そう考えたからこそクリックしています。
私が寺社コンで学んだことのひとつに、人によっては当たり前にタブーであり続けるものが、別の人やコミュニティによってはそうではないということがあります。
寺社コンでは実際に50組以上も結婚しています(カップルは300組以上!)し、この心理抵抗には乗り越えるだけの価値があったということでしょう。そして当初は予想もしていませんでしたが、いろんなお坊さんや神主さんにご協力頂けたり、寺社コンの実績からお寺活用アイディアコンペ審査員やお坊さん講習会での講師に呼ばれるなど、活動も広がっています。
なので信念に基づいてさえいれば、「それはタブーだ」と言う人に出会ったとしても、世界から全否定されるわけではありません。信念の部分から分かり合えない人には近づかず、淡々と自分のやるべきことをやりながら、別の場所でお互い幸せになれば良いかなと考えています。