コラボレーションが口癖の人には近づかない方が良い
寺社旅活動をしていると、様々な方からコラボレーションしませんかというお誘いを頂きます。それはとてもありがたいのですが、中にはかなり疑問を感じる方もいます。
一番多いのが、ご自身が何をしている(もしくは目指している)か明確でない方。私はコラボレーションとはお互いの強みを組み合わせることと考えています。
次は何の提案もない方。「コラボレーションしましょう=何か良い話をください」という方です。
そして最後はやりたいことを説明しただけで力尽きる方。話をするだけして、次のステップも決めて、その後はなしのつぶてというパターンです。
私自身、これまで多くの方と一緒に活動しましたし、誰かと協同することは大きなパワーになると感じています。ですが、あえて言います。コラボレーションなんて、むやみに考えない方が良いですよ、と。
先日、相談に乗ってほしいと言われてお会いした方に、何を相談したらいいか考えてこなかったと言われました。とりあえず私に会えば、何かしてくれると思っていたようです。一緒にコーヒーを飲みながら、相談事を考える相手をただ見ているだけの時間。そして結局、何も出てこなかったという結末。久しぶりに人と会って苦しいと思いました。
まあ、ここまでひどいと、むしろ私自身を反省するきっかけになりましたが。おかげで、人と会うことに対して、一定のルールを自分に課しました。
この例は置いておくとしても、相手と一緒に何かしたいと希望した時、それが相手へのおねだりになってしまう方は、意外と多いです。
「コラボレーション」というと、なんとなく仲間になった意識が日本人の心をくすぐるのか、挨拶のように使われる方がいます。ですがそれが依存を表すキーワードになっていたら、危険な兆候です。
コラボレーションは目的ではありません。手段です。自分がやりたいことがあり、足りない部分が明確になって、そこで初めて埋めてくれる(と、思える)相手に会えば良いのです。少なくともそれが私の考えるコラボレーションの定義です。
もちろん会って話をすることで見えてくることは多々ありますので、イメージや仮説を持った上でなら、何かのヒントをつかみに私に会いにくる方も歓迎しています。私もそうやって興味ある方のところに飛び込むことはよくあります。
ですがあくまで主体性は必要です。会えば相手が何かをしてくれる。そうした考えは捨てた方が良いでしょう。そして自分の中に確たる目的意識があれば、相手の時間も無駄につぶすことはありません。
ついでですが、以前に書いた私が人と会うときに気を付けていることも、ご興味あればご参照ください。
寺社旅研究家が出会いを成長につなげる上で気をつけている7つのこと
私もコラボレーションという言葉はよく使いますので、自戒を込めて書き残しておきました。