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葬儀に白ネクタイで参列するのは、本当に不謹慎なのか?

東京ビッグサイトで行われたエンディング産業展。こちらのレポートは先日書きましたが、業界内でいろんな変化が起きていることを感じます。

エンディング産業展に皆勤賞のほーりーが、今年感じた6つの変化

そしてほーりーが顧問を務める霊園会社・アンカレッジも、今回はブース内にセミナーが開けるスペースを用意し、一日5回×3日間のミニセミナーを開催しました。

アンカレッジのミニセミナー

そしてこの中にある「こっそり語るアンカレッジの失敗事例集」というセミナーの中で、一つほーりーの思考に引っかかったものがあったので紹介します。

納骨法要に白ネクタイで参列された施主さんの話

この失敗事例集。お寺に特化して樹木葬を導入・販売しているアンカレッジの日々の業務の中で、上手くいかなかったことやミスしてしまったことを紹介しながら、そこで得た気付きや改善ポイントをまとめたものです。

そこで語られたことの一つに、「納骨法要に白ネクタイで参列された施主さんがいた」というエピソードがありました。

納骨法要に白ネクタイで参列された施主さん

お寺の住職もアンカレッジ社員も、「黒ネクタイで街を歩くのを避けたためで、法要前に変えるのかなと思っていた」そうでした。

しかし法要が始まっても白ネクタイのままで、周りがみんな焦りを感じたものの、指摘するタイミングも逃してしまって、そのまま法要が進んだというお話です。

そしてアンカレッジでは、仏事にみんなが精通しているわけではないという意識を新たにしたこと、作法に全く通じていない人でも供養の気持ちはあることを紹介し、一言声をかければ良かったという話を失敗として挙げていました。

祖父の死に「おめでとう」というお孫さんは不謹慎なのか

そしてこの話自体は、確かに純粋なアンカレッジの失敗だと思います。しかし一方でほーりーが感じたことは、葬儀や納骨法要は、本当に黒ネクタイでなければならないのかということです。

例えば先日、平均寿命の延伸が、葬儀を簡略化させたという話を書きました。

平均寿命の延伸が葬儀を簡略化させてきた中で、お坊さんにできること

内容を簡単にまとめると

○この60年で日本人は20~25年も平均寿命が延びた
○若くして亡くなった方と100歳過ぎて大往生するのとでは、遺族感情に違いがある
○葬儀の簡素化は、信仰心の低下が主原因ではない

というものです。

また、先日東洋経済オンラインに、「88歳祖父の死に「おめでとう」と言う孫の真意」という記事が出ていました。

内容を少し引用させて頂くと

当時15歳だった阿南にとっては、初めて身近で触れる死だった。だが、彼自身が漠然と抱いていた死の印象とは違っていたという。

「祖父は多くの人に触れてもらい、笑顔で声もかけてもらえて幸せだったと思います。『死は悲しくて怖いもの』というイメージがありましたけど、悲しいのはそうだけど、それだけじゃない。人生をまっとうしたという点では『お疲れ様』だし、人生の卒業式なら『おめでとう』だし……」

(中略)

「結局、子どもにとっての死を『冷たくて怖いもの』にするのも、『温かくて幸せなもの』にするのもすべて大人なんです。大人が肉親の死を必要以上に怖がって遠ざけ、忙しさを口実に病院に任せきりだと、それを見た子どもたちは『死は冷たくて怖いもの』と思い込んでしまいます」(柴田会長)

長生きして人生を全うしたと思われる死であっても、家族はきっと悲しいでしょうし喪失感にも包まれるでしょう。

ですが、人はいつか必ず亡くなると伝える仏教であれば、お葬式を無理に悲しむ場、悼む場としてだけ行うのではなく、そこまで生き続けたことを積極的に祝う場と定義しても良い気がするのです。

例えば「お祝い葬」と名前を付けて、楽しく明るい葬儀を作ってみるとかですね。

そしてここまで生き続けて、幸せな人生を送ったんだよということを家族や参列者で再確認するためにも、みんなが白ネクタイで参列することはありではないかとほーりーは思います。

その方が時には悲しみを緩和させたり、故人を思いやる場にもなるかもしれません。

ということで、、、

ほーりーは子供の頃、宗田理さんの「ぼくらシリーズ」が大好きでした。第一作目の『ぼくらの七日間戦争』は映画化されて宮沢りえさんが出演した大ヒット作ですね。

それでずいぶん昔の話なのでうろ覚えですが、シリーズの何作目かで「俺が死んだら、葬式は楽しく賑やかにしてくれ」と言っていたおじいちゃんがいたように記憶しています。

当時はそんなお葬式もあるんだと純粋に驚きましたが、お墓でも優しい雰囲気の樹木葬が広がっている昨今、お葬式だってしめやかなものだけが、人の心を救うわけではありません。

それとこうした話を書くと、「家族の死に打ちひしがれている人に、むりやりお祝いさせるのか」という、曲解しまくった言葉を投げてくる人がいます。

いやね。こんなブログ記事一つで世の中のお葬式がすべてお祝い形式になる(=悲しむ側の選択肢がなくなる)なんて、あり得ない話です。宿坊について勧めれば「日本中のお寺が宿坊を開けるわけではない」とか言われたりしますが、どれだけほーりーを過大評価すればそんな言葉が出てくるんだろうとたまに思います。

たとえお祝い葬のようなものが生まれたとしても、従来のお葬式を求める方が大半でしょうし、白ネクタイで葬儀をしようと決断される方はごく少数ですよ。ただしこれまでの葬儀にピンと来ていなかった方には、心が入るものになる可能性はあります。

あと、ちなみに、世の中で(自分と関係ない人も含めて)全ての死が納得感のあるものであってはならないという主義の方は、ほーりーとは意見が異なりますので絡まないでください。

私が疑問視しているのは「悲しいけれど、それだけじゃない」という時に、従来のお葬式ではその「それだけじゃない」という感情が消されてしまい、死への暗いイメージだけが増幅されてしまうことです。

悲しみ7割・納得3割くらいある場合に、3割をゼロにするのか救い上げるのか。それを選べる環境は、仏教で語られる生も死も同じもの(死をことさらに忌避しない)価値観を伝える役にも立つと思います。

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納骨法要に白ネクタイで参列された施主さん

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