美坊主コンテストを痛烈に批判する人が見ようとしないもの
行ってきました。東京ビッグサイトで行われたエンディング産業展。
なぜか、宿坊研究会も出展! ぜんぜん、エンディングじゃないけど話の流れで。
下の写真のようなパネルを設置し、宿坊創生プロジェクトや寺社コン、仏前結婚式盛り上げ企画など、お話させて頂きましたよ
まあ、共同出展したアンカレッジさんのお寺の樹木葬は「お墓を通したお寺と人との関係作り」を重視した売りっぱなしじゃないお墓がコンセプトなので、こんな人間がコミュニティ作りのお手伝いをさせて頂きますよという感じです。
それはともかくとして、お坊さん達の間で賛否両論巻き起こった美坊主コンテスト。見てきました~。
フェイスブックで見る限り、「賛<否」ですが、こういうのって否定派の人は想いをたくさん書くけど賛成の人はあまり書かないので、賛成派と否定派それぞれの心を揺さぶった感じですかね。
そして私が見てきた結論としては、いや~、面白かったです。また、勉強にもなりました。形式はお説法3分+自由アピール2分の自己PR。その他ふるまい、所作なども含めた総合的な美を、審査員と観客による投票形式で決定します。
母性や父性をテーマにした法話あり、ご詠歌や読経したり、僧侶として生きる心境を語ったり、一人一人のお坊さんは真剣どストレートで壇上に上がっているんですよね。けっして「仏教なんかより、俺の歯の輝きを見てよ」なんて人はいないわけです。
ビジュアル的に最もインパクトのあったお坊さんの瓦割りも、お坊さんであり、空手家であり、看護士でもある。その中で培われた仏教について語られていました。
そして「美坊主コンテスト」だからこそ集まった人たちに、そんな僧侶としての姿を見せることができている。これは私が僧侶研修会でもよくお話させて頂いている「小さな階段をたくさん作る」という手法で考えても、良い事例かと思っています。
小さな階段とはお寺と全く接点のない人が抵抗なく、むしろ興味を持って踏み出せる段。それはお寺社会の理屈から出ていかないと、作ることができません。そして小さな一段だけでは大衆迎合になってしまうので、そこから少しずつ自分たちの伝えたいことまで登る道を設計していきます。
今回で言えば「美坊主コンテスト」という、心をざわざわさせるタイトル。そして何だろうと入ってきた人に、お坊さんとしての生き方や考えを伝える。お寺にもお坊さんにも仏教にも全く興味がない人が、「美坊主」という言葉を通してほんのちょっとそのエッセンスにふれる。
そういう意味では私の唯一の不満は、エンディング産業展ではなくもっと一般の人が入るイベントでやって頂けたらということですが、それは今後に期待したいとして。
ですが、やっぱりイベントが始まる前も、終わって報道ニュースなどを見た人からも、批判の声は上がっています。
もちろんこの美坊主コンテストに来た方が仏教へ向けて足を踏み出すかと言えば、そんなことはないでしょう。さらにテレビだけ見た人なんて、面白がるだけで終わることは言うまでもありません。
しかしこれを批判する方はお坊さん世界にどっぷり浸かりすぎているので、お坊さんと全く接する機会のない人が世の中の大半だということを、見ることができていないのです。お坊さんが「お葬式」「厳しい修行」「暗い」「怖い」「近寄りがたい」「坊主丸儲け」という超ネガティブイメージで見られていることに、気づけていないのです。
というか、そうした「大衆迎合だ」「お坊さんとして間違っている」「あんなもので人は救えない」と言う人は、その言葉や態度がどれだけお寺やお坊さんから世間を遠ざけているか、あまりにも無神経で無頓着すぎます。分かっているよと言うのかもしれませんが、過少評価し過ぎるのです。私はお寺好きな人と毎年1000人以上と話していますが、そんなお寺に近い人たちですら、お坊さんに向ける目線は親しみばかりではありません。
お医者さんとか警察官だってそんな感じです。家族や友人に警察がいなければ、ほとんどの人が何かしらネガティブなイメージは持っているでしょう。ですが例えば以前話題になったDJポリス(日本がワールドカップ出場を決めた夜、渋谷で親しみやすい口調で語り掛けながら交通誘導した警察官)なんて、大混雑の中でむしろ周囲を盛り上げながらも気持ちよく交通ルールを守らせることに一役買いました。
「楽しい」を「不真面目」「道を間違えている」と捉えると、とたんに息苦しくなります。仏教って生き方の根幹に関わるものなので、即効性だけの布教を求めたって世間からは猛烈な反発を食らいます。
こうしたイベントをちゃらちゃらしていると否定するのは簡単ですが、自分の居心地の良いコミュニティだけで遠くから石を投げる方が、仏教者としてはよっぽど不誠実な態度に私には見えています。
主催されたおぼうさんどっとこむの林数馬さん(この方もお坊さん)は、「お坊さんに失礼ではないかという意見もあったが開催に踏み切った」とお話されていました。またエントリーされた井上広法さんは、「美坊主の定義は見た目の美しさだけではない」とも述べられていました。
一生涯かけて仏教にほんの少しふれる。それでちょっと人生が豊かになるくらいの距離の置き方も認めて頂ければ、お寺はもっと社会の中で人の心に寄り添えるのではないでしょうか。
ということで、今回企画された林さんや絶対に批判が来るのを分かっていながら矢面に立った8名のお坊さんには、私は心から拍手を送りたいと思います。
んでもって、優勝された滝吉照誉さん、おめでとうございまーす。