美術館の解説に人間ドラマが加わると、仏像への理解が深まる
先日取材してきた、東京藝術大学大学美術館の『観音の里の祈りと暮らし展Ⅱ(2016/7/5~8/7)』記者内覧会に関連して。
この企画展。仏像を文化財、美術品としてだけではなく、地元の信仰も伝えたいという想いを持って開催しているとのことで、その趣旨にすっごい共感しています。
なのですが、一方で展示については「文化財、美術品の解説」という域を出ていないのが不満です。というか、せっかく良いコンセプトを作っているのに、もったいないです。
例えば、今回。私が一番注目した、石道寺の持国天立像。
美しい! イッツ、ビューティフル!! ですが、私が心を打たれたのは見た目ではありません。今回の展覧会で「持ち運びが一番大変だった仏像」を学芸員の方に聞いたところ、真っ先に挙がったのがこの持国天でした。
さて、なぜだか分かりますか? 正解は重いからです。当たり前と言っちゃ当たり前ですが、では、なんでこの像が重いかを知ると、仏像に詳しくない方でも制作技法が一気に頭に入ります。
この像が重い理由は、主に3つ。
・でかいから
・ケヤキで彫られているから
・内ぐりが施されていないから
「でかい」は説明不要でしょうが、残りの2つについてちょっと補足。ケヤキは木材として比重の重い性質があります。
ちょうど木材博物館というサイトに木材の比重一覧があったので、そこから引用すると
ケヤキ [ 0.69 ] ヒノキ [ 0.41 ] スギ [ 0.38 ] キリ [ 0.19~0.30 ]
だ、そうです(水の比重を1とする)。
また、「内ぐり」ですが、木材は乾燥すると内部と表面で収縮率に差ができて、割れが発生することがあります。これを抑えるために、仏像の内部をくりぬいてしまうのが内ぐりです。中身が空洞だったら当然軽くなるわけですが、この持国天はぎっしり詰まっています。
ですが、この仏像につけられていた解説はこちら。
写真の文字が小さいので記載させて頂くと、
本尊十一面観音立像(重文)の両脇侍の二天像。右脇侍の持国天は閉口して右手を腰に当て、左手に戟(げき)を持ち、左脇侍の多聞天は開口して右手に宝棒(ほうぼう)を握り、左手に宝塔を載せる。いずれもケヤキ材製の一木造で内刳(うちぐり)せず、面部を割り矧いで候補の玉眼を嵌入する。邪鬼はケヤキ材製。動きを抑えた姿勢などから平安後期の作と考えられる。石道寺は、自治会から選出した頭人12人を、神前神社と石道寺に分け各種行事を執り行っている。
と、あります(解説は、隣に展示してある多聞天とワンセット)。
もしも、
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「今回、一番持ち運びが大変だったのは、この持国天でした」
なぜなら、この仏像はとても重いから。像の高さは182.7cm、他の木材より重いケヤキ材で彫られていて、乾燥による割れを防止する内ぐり(中身をくり抜く仏像彫刻技法)も施されていません。つまりでっかい上に中身が詰まったボリュームたっぷりの仏像なのです。
しかも手に持つ戟は取り外し不可能な上、背中部分の鎧は釘一本で止まっており、傷付けないように運ぶのも大変。移動時には〇人がかりで△時間かかってお堂から運び出しました。
運び終えた学芸員××の言葉。「平安時代の貴重な仏像を私のミスで壊すことを考えると、足がすくみました。等身大以上で内ぐりのない仏像は、いつも背中に嫌な汗が出てきます。この持国天に踏まれ続けた邪鬼の気持ちが、今回は痛いくらいに分かりました」
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なんてことが解説に書かれていたら、きっと仏像の知識がない人でも親近感が湧くし、仏像の特徴も伝わるのではないでしょうか(ちなみに学芸員さんのコメントは私が勝手に作ったものです)。
これは別に、これまでの解説を止めて、全部こんな気軽なものにしてしまおうということではありません。それはそれで今度は仏像に詳しい人が物足りなくなるでしょうし。
ただ、すべての仏像を淡々と学術的に紹介するだけじゃなく、初心者が入り込みやすいようにメリハリ付けた切り口を増やしても良いのではと私は思うのです。
実際に動物園や水族館は、こういう工夫を増やしてきていますし。
観音の里の祈りと暮らし展、記者内覧会で聴いた、仏像を運ぶ苦労話が一番面白かったです。けやき(木材として、重い)で作られ、中がくり抜かれていない持国天が、一番運ぶの大変だったとのこと。こういう持ち運びが大変だった仏像とか紹介してたら、制作技法も頭に入りやすいのにと思います。
— ほーりー(寺社旅研究家) (@holy_traveler) 2016年7月4日
美術館や博物館に足りないのは人間ドラマだ!
私は毎年何十軒も美術館や博物館に足を運んでいますが、なんていうか、どこもこんな感じで無個性すぎるんですよね。逆に分かりやすい解説って、急に子供向けになってしまったり。
『観音の里の祈りと暮らし展Ⅱ』の展示解説は現地の写真も載せたりしてかなり工夫している方ですが、それでも文章の固さは否めません。
それで思うのは、美術館や博物館には人間ドラマが足りないということ。例えば今回、展示の解説をして下さった長浜城歴史博物館の太田館長は、「観音様に何かあれば首を差し出せ」というプレッシャーを受けながら、地元の方から仏像をお借りしたと仰っていましたし。
上の写真ではちょっと小さいですが、仏像を運び出す作業の後ろで、心配そうに見守っているのが村の方々です。この写真は仏像そのものよりも、よっぽど地元の信仰心を伝えてくれます。
ちなみにこの地元の方の想いは、こちらにまとめていますのでご参照ください。
なので仏像を文化財としてだけでなく、信仰の対象として紹介する。きっとそれを最も強く感じさせるのは、仏像をお堂から運び出してから無事に返すまでの一連の人間ドラマだと私は感じました。
総持寺の千手観音立像も、持物の取り外しがあまりできずに大変だったようですし。こんな話を聞くと、そもそも取り外しできるんだという仏像に対する理解と共に、こうした複雑な立体を何百年と守り続けることがいかに大変かということにも想像力が働きます。
めっちゃ、重い。大変だよって、まるで苦労自慢みたいで抵抗あるかもしれませんが、初心者には分かりやすい入り口です。そしてそこからヒリヒリするような美術館の現場が紹介できれば、仏像の知識も、地元の方の想いも、そして文化財を扱う仕事の理解も、深まっていきますよ。