登別温泉で牛乳ラーメンを食べながら、お寺の未来について考えたこと。
先日、北海道の登別温泉に行ったときに牛乳ラーメンを食べてきました。
見た目は白。果たして大丈夫だろうかと思いましたが、
食べてみると牛乳の味が押しつけがましくなくあっさり麺に絡んで、
とてもおいしかったです。
ふ~、良かった。ごちそうさまでしたと料金を支払いながら、
お寺とラーメンについて考えてみました。
実は私は、ラーメンをそれほど食べません。
なんとなくご飯はお米がないと落ち着かない派なので、
ラーメンだけだとお腹いっぱいになっても、
なんか物足りない気がしてしまうのです。
(別に嫌いではないので、上のようにふと食べることもありますが)
ところが世の中、ラーメン好きはものすごく多くいます。
そしてラーメン好きが集まると、必ずラーメン談義に華が咲きます。
というか、そんなに普段ラーメン・ラーメン言っていない人でも、
驚くほどみんなラーメン屋の名前が頭に入っていて、
そしてあそこの味はどうだと語り始めます。
お寺好きはいつも周りから珍しい存在と思われるのに、
ラーメンは知らないほうがむしろ少数派かもしれません。
ラーメンの話題に出くわすと、私はだいたいぽかーんとしています。
お寺の名前なんて(そして見た目も)みんな同じようなのに、
どうしてそんなにお寺の名前が頭に入っているのとよく言われますが、
その言葉、ラーメン好きには言う資格ありません。
と、思うのですが、現実的には圧倒的多数で否決されます。
私も友人に誘われて、車でわざわざ遠くまで出かけて、
行列に並んでラーメンを食べたこともあります。
しかしあの情熱には心底、感心してしまいます。
となりにがらがらのラーメン屋があるので、
そっちでいいじゃんとは言えない雰囲気です。
ある調査によると、日本全国のラーメン店舗数は35000軒ほどあるそうです。
日本のお寺の件数は、80000軒近く。
お寺はラーメン屋さんの2倍以上、日本には存在します。
しかし悔しいことにお寺の話題では、ラーメンのようにはいきません。
もちろん、ラーメン屋とお寺では性質が全く違います。
行列のできるラーメン屋のようになることが、お寺にとって最適解ではありません。
でも、やっぱりラーメン屋に見習う部分は多いのではないかなと、
牛乳ラーメンを食べながら思う私でした。
ラーメン屋のすごいところは、毎日毎日人が来ることです。
最近、お寺を開こうという文脈でいろんなイベントを行うお寺も多く、
それはとても素晴らしいことですが、
何もない日常でも人が足を運ぶ仕組み作りも、
同時に考えた方が良いように感じています。
最大瞬間風速で一日にたくさんの人が来ることも大切ですが、
日常の平均風速を上げる努力も同じくらい必要なことでしょう。
ラーメン屋はキャンペーンも行いますが、
まずは何よりもスープを作りこんで、お店の魅力にしていきます。
値引きや大盛りイベントは、あくまでもお店の名前や味を知ってもらう方策です。
これってお寺も、共通して言えるのではないでしょうか?
たとえばお寺の境内に入りやすくする精神的なバリアフリー化。
たとえば境内に様々な仕掛けを施す、『寺社パーク』運動。
たとえば日常的に旅行者が泊まる宿坊の開設。
これらの詳細は別の場所で語っていますが、
お寺も何もない日常においてのベースづくりが必要と考えています。
いつか、「どうしてそんなにお寺の名前が頭に入っているの?」という質問に、
いやいや、君だってラーメン屋の名前が頭にたくさん入っているジャンと答えて、
「ああ、そうか」と納得してもらえる日を信じて。
誰にも賛同を得られなさそうな私の戦いが続きます。