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「それはお寺じゃなくてもできる」という、思考停止ワード

お坊さんのビラ配り

お寺の方と話したり、facebookの投稿を見ていると、よく出てくるのが「それはお寺じゃなくてもできる」という言葉です。

類似例に、「わざわざお寺でやる必要はない」「お寺は本分だけに勤めるべきだ」「こんなことをしたら、仏教が廃れる」というものもあります。

うーん。では、逆に聞きたい。だったらお寺にしか(もっと言えばお坊さんにしか)できないことってなんでしょう?

仏教を説くことでしょうか。生き方の教えなら、仏教に限らず世の中には無数にあります。お葬式でしょうか。葬儀はお坊さんにとって最後の聖域になっていますが、無宗教葬は確実に増えています。

誤解されそうなので先に書いておくと、私は仏教を説くことやお葬式が、大したことではないと言っているわけではありません。これらは間違いなく大切なものです。

ただ世の中、自分の専売特許だと思っていたことが、あっという間に誰かに奪われることは多々あります。また技術の革新や社会構造の変化により、そのもの自体が意味を持たなくなることもあります。お寺の営みは長い歴史を持つので変化は緩やかですが、それだけに気づいた時には手遅れという状況になりかねないのです。

それはお寺じゃなくてもできるという、思考停止ワード

自分にしかできないことなんて、一部の資格業を除けばほとんどありません。またそれすらも規制緩和や技術革新で無効化されます。そこまで考えれば「それはお寺じゃなくてもできる」という言葉がいかに危険か、よく分かります。

著名ブロガー・ちきりんさんが書いた『マーケット感覚を身につけよう』にある以下の記述は示唆的です。

今までは、「市場的でないもの」ほど、安定していると考えられていました。たとえば公務員や国家資格が必要な職業は、「国や法律で守られているのだから、将来も安定しているはず」と考えられていました。

でも、第2章の弁護士や博士の例でも見たように、市場化する社会においては、これらは将来、ものすごく大きな変化が起こる可能性の高い分野です。

なぜなら新しい技術や市場化への潮流は、そういった規制や資格に守られた「非効率で非合理な分野」をこそ狙い撃ちしてくるからです。



 マーケット感覚を身につけよう

 ちきりん 著

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逆の言い方をすれば効率的で合理的な分野はイノベーションを起こしても、リターンが少ないわけですね。

なので「宗教」「伝統」「文化」「慣習」と言ったものが参入障壁となっていた葬儀法要なんて、まさに狙い撃ちされやすい分野なわけです。直葬やお坊さん派遣サービスが世間をにぎわす状況は、この本に書かれた内容そのままです。

しかしその時、効率がすべてではない、仏教をないがしろにしていると「仏の権威」で他人を批判しても、仏教自体に価値を置かない多数の人には何も響きません。

お寺じゃなくてもできることを、お寺でしかできないことに昇華していく

そこで必要なのは切り口を増やすことです。違う入り口があれば、仏教に入る方も増えていきます。街中にフリーペーパーを置いて仏教を伝えた『フリースタイルな僧侶たち』、寺社のワークショップを多数集めてイベントを開いた『向源』、お坊さんが悩みに答えてくれる人生相談サイト『hasunoha』など、これまでとは違う形で仏教との接点を作る活動も近年はどんどん増えています。

「お寺じゃなくてもできること」に手を出さなければ、永遠にお寺でしかできないことは生まれません。また逆の発想をすれば、「お寺じゃなくてもできること」も、お寺がやることでお寺なりの意味が生まれます。

これは私の経験則にも寄ります。ほーりーはもともと寺社巡りが趣味で、宿坊研究会を作って情報発信していました。

そして婚活イベントなんて私の興味テリトリーからは外れていましたが、ほーりーが作った婚活イベント(寺社コン)は、寺社巡りが趣味の人間にしか作れないものになりました。

さらに宿坊研究会や寺社コンの実績が認められたことから、現在はいくつかの企業やお寺のプロジェクトで顧問も務めています。これもビジネスと寺社のマッチングなんて最初は考えてもいませんでしたが、現在はオンリーワンスキルと呼んで差支えない状況になっています。

しかし世界中にネットワークを持ち、人脈作りの本を書かれた方から「全人類70億人の中でたった一人しかいない職業」と評された私ですが、新たなこと、新たなことには常に挑戦しています。それは現時点でほーりーにしかできないことも、いつかそうでなくなる日が来ますし、ほーりーのスキルが無意味になる日も間違いなく訪れるからです。

時間の尺が長いだけで、これはお寺も同じです。お寺でしかできないこと、お坊さんにしかできないことも、いつかそうでなくなる日がきます。しかしそうなる前にどんどん新しいものを生み出していけば、お寺でしかできないことはむしろ増えていきます。

宿坊だって仏前結婚式だって他の様々なお寺活性策だって、なんでもやっていけばいいのです。やることで次世代のお寺フィールドが生まれますが、それは本義を外れた邪道なものにはならないでしょう。お坊さんが行えば、それはどんなものでも仏教が色濃く反映されたものになるはずです。

「それはお寺じゃなくてもできる」この言葉は翻訳すれば「面倒くさい」だと私は感じています。

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