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住職が跡を継がせてくれないというお坊さんからの相談

弥勒菩薩

 先日、ある50代のお坊さんから、住職が跡を継がせてくれないという相談を受けていました。この方はもともと○年になったら、住職を継承する約束があったそうです。しかし時期が過ぎても住職が引退せずにいるため、このままお寺にいるべきか、それとも出るかで悩んでいるとのことでした。

 ご自身としてももう少し歳を取れば、自身の引退さえ視野に入る年齢です。もちろん住職になることだけがすべてではないでしょうが、歳を重ねてから住職になっても何もできないと焦っておられました。

 またこの話を他のお坊さんにしたところ、80代の住職が「お前には俺の気持ちが分かっていない」と60代の副住職に言い続け、同じように後を譲らない事例をお聞きしました。似た話はそこかしこで見聞きしますし、けっして特殊事例ではないでしょう。

 他にも以前、京都の東本願寺で「参議会」の方々を前に講演させて頂いたことがあります。真宗大谷派は僧侶で構成される「宗議会」と門徒さんで構成される「参議会」の二院制を取っていますが、そんな全国の門徒さん代表の集まりで受けた質問は、子どもや孫がお寺に来るにはどうしたらよいかというものでした。

 正しい仏教より楽しい仏教を伝える大切さを東本願寺で語ってきました

 そこでほーりーが答えた内容は「子どもや孫が来るようになったら、あなたたちにとってお寺は居心地の悪いものになりますよ」というものです。もちろんだから子どもや孫を来させるななんて話ではなく、自分たちにとって都合の悪いものも受け入れなければ、若い人はお寺から全力で逃げていくとお伝えしました。

 さらに先日、ある20代のお坊さんにインタビューをしていましたが、そこで出てきた言葉の一つは「おっさんとは会いたくない」というものでした。アラフォーとなったほーりーも、自戒を込めて胸に刻み付けなきゃならんと思わされました。

お寺社会がなぜ、50~60代でも若手と言われるかの考察

 世代を超えた交流や職位の引継ぎは難しいものです。お寺で耳にして、これらを象徴するなと思った言葉に「60代でも若手」というものがあります。

 冒頭のお坊さんの話に戻れば、50~60代などまだまだひよっこだから、任せておけないということかもしれません。しかしお寺社会が伝統的に60代を若手と考えていたということではけっしてないでしょう。

 なぜなら厚生労働省が発表している簡易生命表と完全生命表から平均寿命の推移を調べると、1947年の平均寿命は男性で50.06歳、女性で53.96歳です。

 もちろん一部のご長寿さんはいましたし、そうした方が長老として敬われることはあったでしょうが、町のお寺のほとんどは30~50代には住職になっていたはずです。

平均寿命の推移

 また、お寺の住職は基本的に、檀家さんや信徒さんからの信任がなければ成り立ちません。ほーりーが連載している月刊住職には、信頼を失ってお寺を追い出されたお坊さんの話がときどき載っています。まあ、それは異常な事例としても、周りから「そろそろ代替わりが必要では」という機運が高まり、住職交代となるケースはあるでしょう。

 そこでそんな機運が高まるバロメーターとして、国立社会保障・人口問題研究所の人口ピラミッドデータより、年代別人口割合の推移をグラフ化してみました。

世代別人口割合の推移

 このグラフの注目ポイントは、60代と70代の人口比率が2020年に入って逆転したことです。団塊の世代が高齢者層に入ったことで、人口全体に見る70代比率(グラフでは、濃い青線)は急激に高まりました。

 お寺社会はこの単純な数字よりはるかに高齢者層に偏っていますが、お坊さんだけでなく檀家さんや信徒さんも高齢比率が高まったことで、住職の年齢が上がってもそのまま続けてほしいというニーズは増えたと考えられます。

日本は全体的に、60代以下が上に抑えられている

 上記のグラフをまとめると、以下のようになります。

 ○70代の人数が60代よりも多くなった
 ○檀家さんの年齢も上がり、住職が高齢である方が居心地の良い人が増えた
 ○結果として引退を求められることがなく、年齢が上がっても住職を続けやすくなった

 そして、歳をとっても主要なポジションに付けないお坊さんが増えたため、50~60代でも若手と呼ばれるようになったのでしょう。

 しかしこれらはお寺社会に限定された話ではありません。制度的にも高齢層は引退を伸ばすことが推進されています。「高年齢者雇用安定法」の改正により、2012年には65歳、そして2021年4月からは努力義務としてですが70歳まで定年が引き上げられました(細かくはいろいろな仕組みがありますが)。

 お堅い仕事とされるキャリア官僚やメガバンクなどでは、50~55歳までに出世していないと昇進が止まったり管理職を解かれるなど、重要なポジションからは外れていきます。そして社会の高齢化と共に上が詰まり、椅子取りゲームは厳しくなってきました。

 また、現在の40歳前後は就職氷河期世代とも言われます。社会に出たタイミングが不景気だったというだけで、不安定な立場から逃れられない方は大勢います。さらにコロナによってこれからまた、20代の氷河期再来も危惧されています。

 シルバーデモクラシーという言葉もあります。多数派となった高齢者に過剰に沿った政治が行われることで、若者が不利になる問題です。

 ただそれでもお寺特有の話で言えば、定年がない事と他業界より知識のアップデートが少なくて済むことが挙げられるかもしれません。

 ほーりーは会社員時代、入社2年目にしてひとつの分野で会社で一番詳しくなっていました。ただそれは私がすごかったからではなく、単に誰も担当していなかった技術領域が新人に割り当てられたためでした。

 常に新しいものが出たり、学んだ知識が使えなくなる状況化では、年功序列は簡単にひっくり返ります。しかし般若心経に変わるお経が次々と出るようなことのないお寺では、実働年数がそのまま立場となりやすくなります。

ということで、、、

 こうした話を交えつつ、冒頭の相談を受けたお坊さんに「自発的に住職が代替わりを進めてくれることは、期待しない方が良いのでは」と答えました。

 以前、こんなブログ記事を書きました。

あなたが居心地良い場所は、誰かにとっては居心地が悪い

 コミュニティは仲間と仲間じゃない人を区切ることによって成り立ちます。世代が下の副住職を住職にすることは、ある意味で前住職を中心に同年代で固まっていた場を(短期的には)荒らす行為につながります。

 未来を考えればどこか適切なタイミングで世代交代する必要はありますが、そこに及び腰になってしまうことを責めるのも酷でしょう。なので下の世代から、積極的にアクションを取っていくことはとても大切です。

 この記事のアイキャッチ写真に載せた弥勒菩薩のように、56億7千万年くらい出番を待ち続けられる方は別かもしれませんが。

 ほーりーも会社を辞めると決めた時、親から勘当されかけました。そしてそこから2年かけてビジョンや収入見込みを説明しながら、説得して和解しています。

 私の場合はサラリーマン家庭なので、親が師匠であったり、宗教法人という組織の中に家族みんなが所属しているお坊さんにも同じことができるとは言いません。ただ住職になることは難しくても、例えば「既存の檀家さんとの関係は従うから、宿坊作りは自分の意志で進めさせてほしい」など、一部だけでも裁量を得る方向もあります。

 むしろ既存の仕組みをそのまま譲り渡してくれというより、新しい分野を自分で開拓させてくれというほうが、ここまで述べた時代背景を考えれば王道になるでしょう。

 自分がやりたいことなんて、周りから反対されて当たり前です。そしてまたトップに立てばたったで、できなくなることもたくさんあります。

 寺社コン300回やってわかったけど、批判する人の信念は薄い

 なので上が詰まっている副住職には情熱と時間をかけて周りとぶつかり、勇気をもって歩んでほしいと願っています。

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弥勒菩薩

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