東京で一番ポテンシャルと現実の差が激しいのは護国寺
先日、日本でも特にポテンシャルと現実の差が激しいお寺は身延山久遠寺だという記事を書きました。
これらの記事は日蓮宗宗務院の方が私のところにお話を聞きに来られたり、多方面でだいぶ話題になりました。
それで考えていたのですが、東京で同じようなお寺はないかと思った時、真っ先に頭に浮かんだのは護国寺でした。
このお寺、実はほーりーはめちゃくちゃ縁が深いんですよ。なんせ、私はこの護国寺の隣にある日大豊山高校が母校なのですから。
豊山ですよ、豊山。真言宗豊山派の「豊山」ですよ~!
前身は古く、1872年(明治5年)に護国寺に設置された真言宗「宗学林」。さらに「宗学林」は1887年(明治20年)に真言宗新義派中学林および大学林(大学林は正式名称を真言宗新義派大学林。これが後の豊山大学となり、大正大学へ組み込まれた。また中学林の正式名称は真言宗新義派大学林附属予備前中学林という)に改組され1903年(明治36年)には中学林が豊山中学として認可された。
ということで、私は単にお隣さんというだけでなく、名前が示す通り護国寺の流れをくむ高校を出ているのです。
男子校なのに学校行事でディズニーランドに行くことになり、入り口前で生徒一同整列した時に隣のどこかの共学校からまぶしいオーラが放たれていたのが忘れられない。
十代の多感な時期にそんな経験をしてしまうと、10年後に寺社コンとか作ってしまうわけです。いや、まあ、それはどーでもいいか。
護国寺はお寺巡りの魅力が詰まった素晴らしいお寺
それでこの護国寺ですが、まずはなんと言っても立地がすごいです。護国寺は池袋から有楽町線で2駅先にある、護国寺駅から階段上って振り向いたところにあるお寺です。駅名からして「護国寺」ですから、迷いようがありません。護国寺駅を1000回以上利用している私が言うんだから間違いないです。
東京の大寺院を比較した時、ここまで都心ど真ん中なお寺は他にないんじゃないでしょうか。山手線の内側でこの規模を誇るのは増上寺と寛永寺くらいじゃないかな~。
皇居から直線距離を測ってみたら、こんな感じでしたし。
護国寺:4.76km
浅草寺:4.96km
池上本門寺、總持寺、川崎大師、、、。これらの大寺院と比べても、護国寺の方がアクセスで勝ります。というか護国寺は、街中に突如現れる異次元感が半端ないんですよね。私も初めて高校に通った時、なんでこんな場所に巨大なお寺がと思ったものでした(まあ、街よりお寺の方が先にできていますけど)。
そして、歴史もすごいです。元は幕府の薬草園であったところを五代将軍徳川綱吉によって建てられた格式の高いお寺。戦災で古い建物がことごとく消失している都内では珍しく、元禄期の本堂や桃山期の建築美を今に伝える月光殿(それぞれ重要文化財)など貴重な建物も残されています。
特に本堂は一押し! 都内で一番の大きさを誇る500畳敷きの木造建物で、紀伊国屋文左衛門が調達した(おそらく東北から運んできた)木目が積んだ質の高いけやきを、惜しげもなく用いて建てられています。
しかも、自由に入ってお参りもできます。
毎月18日の本尊・如意輪観音ご開帳日や、桂昌院(三代将軍・家光の側室で、五代将軍・綱吉の母)の髪が納められているという三十三応現身、出山の釈迦、大日如来、地蔵菩薩、不動明王、恵比寿・大黒など、仏像好きにも人気です。私もテレビ番組の仏像ツアーでガイド役をしたことがありますが、その時に紹介させて頂いたのもこの護国寺でしたし。
他にも茶道本山として境内には9席もの茶室があります。お茶室は入ったことがないですが、門前のお店には月光殿ゆかりの最中もありました。
また、本堂の裏にはある墓地は、有名人のお墓がたくさんあります。三条実美、山県有朋、大隈重信らは墓マイラー(有名人のお墓参りを趣味にする人)が訪れていますし、ほーりー的には鹿鳴館やニコライ堂を造った建築家のジョサイア・コンドル墓は感激です。
富士塚もありますねー。
護国寺は情報鎖国を続けるお寺
こんな感じで歴史散歩がピッタリ似合う護国寺ですが、こちらは世間から鎖国しようとしているんじゃないかというレベルで情報がありません。
ウェブサイト見ると、すごいですよ。なんか本堂の写真がドドンと出ていて、おしまい。
数年前、4~5ページくらいしかないやる気ないサイトだと思っていたのですが、いつからかリニューアル中となり、そして出てきたのがこのサイトでした。
いや、リニューアル前より、情報なくなったし! もはや何のために存在しているかさえ分かりません。どこかに隠しリンクでもあるのかと思って、しばらくポチポチ探しちゃったよ。
それともう一つ、謎なのはGoogleストリートビュー。これは護国寺は関係ない気もしますが、護国寺前の通りは情報がずばっと消されています。
そしてほーりー的にとても残念なのが、毎年11月に行われる文化財ウィークで、護国寺のエントリーがなくなったこと。東京では11/3の文化の日を中心に様々な寺社や史跡で特別公開が行われるのですが、護国寺は2012年を最後に登場していません。
私、ちょうど2012年の時に行ったんですよ。本堂の天井に描かれた龍や飛天とか、外陣の中央上部に掲げられた徳川綱吉公自筆の『悉地院(しっちいん)』扁額とか。五十二本ある柱は三百年以上も毎日お経を聞いている「開運柱」と言われていて、柱を抱いてお願い事をすると叶うと言われているとか。
ものすごく楽しかったのですが、2013年から姿を見せません。
護国寺と言えば真言宗豊山派の大本山。豊山派の宗務所もある、東京の拠点と言えるお寺です。東京近郊で真言宗と言えば成田山、川崎大師、高尾山と智山派の方が目立ちますが、それだけに豊山派は護国寺が重要な玄関になっても良いと思うんですよね。
智山派の総本山・智積院の別院であり、真言宗智山派の宗務出張所が置かれている真福寺なんて、外見的には単なる雑居ビルですが、阿字観や写経会など活発に行われていますよ。一言で言えば、お坊さんが見えるお寺です。
しかし護国寺で私がお坊さんと話したのって、テレビのロケしかないのです。もしかしたらそういう機会もあるのかもしれませんが、情報出てなさすぎっすよ。
護国寺のパンフレットには、江戸時代の護国寺の様子が書いてあります。
護国寺の広大な境内では、各地からの諸仏の開帳、様々な寺の行事、花見、紅葉狩りと四季を通じて江戸町民に親しまれ、門前町として発展した音羽町には茶屋が軒を連らね、その賑いは江戸中の評判をよんだ。
と、あります。その面影がまったく見られないのが今の護国寺で、情報発信が江戸時代より退化しているんじゃないかと思えるほどです。
まあ、こちらは身延山と異なり、人を呼ぶ気はなさそうなので、それをあれこれ言うのもどうかと思うのですが、文化財ウィークだけでも復活してほしいなというのが、高校時代に3年間毎日通ったほーりーの切なる願いです。
歴史散歩には良いのですが、一般の人が仏教にふれる機会はまったくと言ってよいほどないですしね。
護国寺の記録記事によると、東日本大震災時には帰宅困難者に休息室や仮眠室を用意し、山内食堂でおにぎりを用意。約120人が利用して夜明かしされた方も数十人に上ったとのこと。いざという時にこれだけの機転と瞬発力も見せるお寺なので、ぜひ少しずつでも日常的に出入りできる機会が増えたらと思います。