正しい仏教より楽しい仏教を伝える大切さを東本願寺で語ってきました
先日、京都の東本願寺で開催された真宗大谷派参議会の研修会で、『お寺は外からこう見える~浄土真宗編~』を講演させて頂きました。
真宗大谷派は僧侶で構成される「宗議会」と、門徒さんで構成される「参議会」があり、国会にならって二院制を取っているとのこと。
そんなわけで今回は、日本各地から集まる門徒さんの代表がずらりとそろう場でお話させて頂いたわけです。
いつものお坊さん研修会とも異なる方々を前に、何を話せば良いのか。ほーりーが考えたのは、正しい仏教よりも楽しい仏教を伝える大切さでした。
正しい仏教より楽しい仏教を伝える大切さ
これは今回集まられた方々がそうだと言うわけではありませんが(そもそも私は、参議会の方とはごく数人を除いてお会いするのが初めてでしたし)、ほーりーの肌感覚として熱心な門徒さんや檀家さんの中には、お坊さんよりはるかに正しい仏教を伝えること(≒誤解や間違いを許さないこと)に、こだわりを持たれる方がいます。
これはきっと、お寺様に失礼がないようにとか、ご迷惑にならないようにという想いが、当のお坊さんより強いために生まれるのかなと考えています。私もお寺に人を連れていく場面は多いので、その心情は間違いなく私にもあるのですが。
そういえば先日、著名ブロガーのちきりんさんが、似たような事象をツイッターに投稿されていました。
高校の課外学習でクラシックコンサートに行ったんだけど、事前に先生が会場でのマナーをものすごく厳しく指導した。音を立てるなとか寝るなとか。その甲斐あってマナーは完璧だったけど、みんな緊張して全然音楽が楽しめなかった。教育って教えるべきことを間違ってるよねと強く感じた高校時代の思い出
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2019年1月19日
正しい仏教を伝える。それ自体は悪いことではありません。ただお寺に馴染みのない人に、いきなり正解だけをぶつけることは悪手です。
例えば浄土真宗のお焼香。「額の前に持ってこないことが作法です」とだけ言われると、初心者はとても緊張します。さらに派によってお焼香を行う回数もまちまちなので、お坊さんでも違うお寺に行けば混乱すると聞きます。
ですがこれがもしも「まずは額の前に持ってきてみましょう。そして次は持ってこないでやってみましょう。両方やってみて、どんな違いを感じるでしょうか?」と聞いてみれば、浄土真宗ではなぜお焼香を頂かずに行うかが体感できるでしょう。
また以前、テレビ番組のぶっちゃけ寺に出たお坊さんからですが、「自分が言いたいことは全てカットされた」という不満をお聞きして、以下の記事を書きました。
内容を要約すると
○テレビに期待するのは布教ではなく、お寺やお坊さんに好意を持ってもらう世間の環境作り
○好意がなければ、どれだけ仏教を説いても人は聞く耳を持たない
○楽しさ優先で仏教が(最初は)誤解されても、好きになれば人は自発的に学び出す
というものです。
要するに「興味を持つ段階」と「物事を学ぶ段階」は明確に分ける必要があるのです。その最初の段階をすっ飛ばして物事を学ばせようとしても、みんな逃げていきます。
ということで、、、
正しさよりも楽しさを優先すれば、大衆迎合、上っ面だけで底が浅い、ウケ狙いのイベント仏教と言った批判が飛んでくるでしょう。
しかし私はそうした意見こそ、近視眼的で全体が見えていないと考えます。大衆に迎合することはとても大切です。そしてそこからどのような階段を築いて、自分たちが伝えたい価値観まで導いていくかはお坊さんの腕の見せ所です。
そして今回の講義をお聞きくださった門徒さん方は、お寺と外の社会の両側に軸を持つ立場だからこそ、両者のつなぎ役としても存在感を発揮できます。
そのために必要なのが、「にわかお寺ファン」を受け入れる手順と心構え。間違ってても大丈夫だよというメッセージは、とても阿弥陀様的だと思ったりもしますが、それが今回、ほーりーがお伝えさせて頂いたことでした。