寺社コン300回やってわかったけど、批判する人の信念は薄い
以下の記事にも書きましたが、今年は寺社コンが通算300回を超えました。
スタートしたのが2009年。現在は10年目に入ったわけですが、これだけ長く定点観測していると、社会の変化を肌で感じます。何より大きなことは、新しいことを始めた時に受ける批判はすぐに消えるということです。
ツイッターでは、ヒーローと悪役の違いをまとめた表なんて笑い話があります。
正義の味方と悪の組織の違いです。
まぁ、偏った見方かもしんないけど
悪の組織がんばりすぎでしょ…泣 pic.twitter.com/cp7wongnVJ— 銀さんの学校では教わらないムダ知識 (@ginchan_muda) 2015年9月23日
現状を守ることは無条件で正義、変えることは悪と見られます。特にお寺や神社の社会はそれが顕著です。歴史や伝統を盾にすれば、頭を使わなくても絶対に正しい立場から相手をフルボッコにできます。
勇気と想いを抱いて歩み出す人間が、圧倒的に不利な立場に陥りやすいのが今の世の中です。
寺社コンにも最初は批判が殺到した
私も寺社コンを最初に始めた時、多くの方から批判を受けました。
○お寺や神社で婚活なんて罰当たり
○異性が隣にいて、座禅や写経なんてできるわけがない
○仏教が欲を刺激していいのか
なんてことは、(もっと過激な言葉で)あちこちで言われました。
また、それまで仲の良かった人からは、自分が関わっていると思われるのが嫌だから、寺社コンをやめろと止められました。一緒に企画したお寺からは、周囲から批判があったので中止させてほしいと(丁寧なお詫びでしたが)連絡を受けたこともありました。
婚活イベントなんて「出会い系」と呼ばれて、作る人間は怪しい詐欺師のイメージでしたし(実際にそういう方が多かったのも確かですが)、私も一番最初に企画を公開した時は、宿坊研究会の評判が地に落ちる可能性も覚悟しました。
いやね。最後にマウスをクリックする時は、本当に体が震えましたしね。
寺社コン300回やってわかったけど、批判する人は根気がない
しかし10年も続けていると、状況は変わってきます。私自身、僧侶研修会で寺社コンについて話してほしいと言われましたし、お寺と契約して婚活イベントのアドバイザーになったこともありました。
「お寺こそ、ご縁を結ぶ場としてふさわしい」なんて意見を見た時には、世の中の変化の速さにむしろ私が戸惑ったものです。
そして強く感じたことですが、目新しいものを批判するだけの人は、まったくと言っていいほど信念&根気がありません。
例えば寺社コンを始めた10年前に私を批判していた方で、今も変わらず反対している方はいません。もしかしたら陰では言っているかもしれませんが、寺社での婚活は仏教に反するだろうと、結婚しないお坊さんを増やそうといった活動をしている方も多分いないでしょう。
世の中に新しいものが生まれた時、賛成する人は1割、反対派も1割、無関心は8割くらいです。批判者の声は大きいのでどうしても目立ちますが、単に見慣れないものを叩くだけなので、次の新しいものを見つけては脊髄反射で飛び移っていきます。
なのでもしも今、何か新しいことを始めようとして批判にさらされている方がいたら、華麗にスルーして淡々と続けていれば、そのうち飽きて去っていきますよ。
ということで、、、
もちろん新しいものが、すべからく良いものであるはずはありません。
しかし世の中にないものを生み出した。それが的外れな駄作であったとしても、ただ他人が作ったパーフェクトなものを振りかざすだけの人よりも、私は素晴らしいと考えています。
似たようなことは、以下の記事でも書いていますが。
そして新しいものを作る人は歴史や伝統への敬意も、何もしない人より強い傾向があります。それはモノづくりをする過程では現在あるものをゼロから見つめなおすプロセスも必要なので、今までのことを繰り返すだけより1000倍以上も自分で考えるためです。
苦しい道を進む人が何もしないで高い位置にいる人に、負ける必要はありません。ほーりーも現在、あちらこちらで駄作を作り続けていますが、ぼこぼこ叩かれながらも頑張っていきますよ。