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宿坊がビジネスに食いつぶされると言う方は、歴史発掘に目を向けよう

01.宿坊
 

先日、長野県の戸隠宿坊群が、重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう答申されました。

産経新聞のニュースによると

国の文化審議会は21日、長野市の戸隠神社の宿坊群を中心とした門前町「戸隠伝統的建造物群保存地区」を、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定するよう松野博一文部科学相に答申した。年内にも宿坊群として全国初の重伝建に指定される。

と、あります。

いや~、戸隠は私も何度も行っていますが、昔からの宿坊が多数残された独特の風景が残る街ですよね。こうした指定がこれからどのように作用していくのか、注目していきたいです。

戸隠の街並み

上の記事には

市教委文化財課は「木造で大きな宿坊も多く、門前町の町並みを維持するために適切な修理を進めたい」としている。

と、ありますし、街並みの保存活用も広がっていけばと期待しています。

近年、伝統的な宿坊の価値が再注目されてきた

このところ宿坊創生プロジェクトなど、新しい宿坊を作る機運が活発になっていますが、一方で古くからある宿坊街や宿坊があった地域も見直しが始まっています。

例えばいくつか、挙げていくと

日本遺産に認定された神奈川県・大山

大山のとうふまつり

今年の最も大きなニュースは、神奈川県の大山が2016年4月に日本遺産として認定されたことでしょう。このニュースを報じた東京新聞では

文化庁が発表した日本遺産に「大山詣(まい)り」が認定された伊勢原市は二十五日、市役所で記念セレモニーを開き、市職員らが認定を喜び合った。高山松太郎市長は「先人たちに伊勢原市の歴史を伝え続けてきていただいたおかげであり、磨きをかけて後世にバトンタッチしたい。外国の方を含め、さらに多くの方に来ていただけるように努めたい」と語った。

今も大山へ続く参道沿いには、建物の中に拝殿がある宿坊が四十数軒並び、宿坊の主で神職でもある「先導師」が来訪者を迎える。歌舞伎や浮世絵、落語などの題材にもなっており、道標など歴史を物語る文化財が市内に数多く残る。市は「納太刀体験ツアー」など認定されたストーリーに絡む企画を考え、情報発信に取り組む。

日本遺産はストーリー性を重視して地域認定する制度です。私は去年発行した寺社Nowで宿坊はこの日本遺産登録に最適という記事も書いていました(私が考えたのは、あちこちにある宿坊街を結ぶ形ですが)。

それを読んだ大山の宿坊の方がこれはいいねと以前言われていて、まあ、さすがにそれがきっかけということはないでしょうが、大山が日本遺産に認定されたことは宿坊全体にとっても良い弾みです。

宿坊の歴史や信仰を活用する榛名神社、富士山麓、立山

宿坊街が失われたり、大きく数を減じながらも、地域の拠点としてもう一度焦点を当てている代表格が、群馬県の榛名山、山梨県の富士山麓、富山県の立山です。

榛名神社(群馬県)

榛名神社は門前で営まれていた宿坊を、街作りに生かしている地です。ここには江戸時代中期に百軒ほどの宿坊があり、元禄から寛政期にかけて最も発展しました。

こうした宿坊は現在、ほとんど失われていったものの、残された建物には往時の様子を再現しようと宿坊名の入った看板が立てられています。また、宿坊で提供されていたそばを復活させるなど、門前町(社家町)の活性に「宿坊」がテーマになっています。

榛名神社・善徳坊

富士山麓(山梨県)

山梨県の富士吉田市には、今も2軒の御師の宿が残っています。また世界遺産の構成資産にもなっている御師旧外川家住宅など、歴史的価値の高い建物も残されています。

こちらでは近年御師文化の発信に力が入れられ、慶應義塾大学と協力して『OPEN!おしまち』というイベントが開かれたり、『御師宿坊の町並み』を紹介した観光動画も作られていますね。

また、お隣の富士河口湖町でも今年に入り、御師宿坊復活のニュースが届きました。こちらは毎日新聞に紹介されていましたが、

富士山に登拝する富士講の信者らを受け入れた「河口御師(おし)」(富士河口湖町河口)で最古の「御師の家 梅谷(うめや)」が、7月から「御師の家 うめや アネックス」を開業し、宿泊客を受け付けている。明治期に河口御師は宿坊としては途絶えており、宿泊客を取るのはそれ以来。明治以来の「御師の家の復活」となる。

と、その様子を伝えています。

立山(富山県)

立山はかつて多くの宿坊で賑わいながらも、1940年代に宿坊が潰えた土地です。修験道の聖地でしたが、その歴史もほぼ失われていました。

しかし修験道や立山信仰の掘り起しが地元で起こり、1996年には極楽往生を願う女性の救済儀式として、白装束の女性が橋を渡る「布橋灌頂会」が130年以上の時を超えて復活。この儀式は日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」登録や、「第36回サントリー地域文化賞」受賞など、大きく注目されています。

また、こうした特殊なイベントだけでなく、立山には教算坊という宿坊の建物が今も残り、宿坊の歴史展示が行われています。立山博物館でも宿坊の歴史を大きく取り上げています。

2000年代に入ってから宿坊を復活させた神主さんがいて、こちらは残念ながら宿坊を閉鎖させてしまいましたが、そこで見せて頂いた立山曼荼羅の絵解きも宿坊の歴史を知る貴重なものでした。

立山曼荼羅の絵解き

宿坊の発掘調査が進む福岡県と大分県境の英彦山

宿坊はかつて、日本中にありました。しかし明治時代の廃仏毀釈やその後の時代変遷により、失われた地域も数多くあります。そしてその中でも去年、大発見があったのが九州の英彦山です。

毎日新聞の報道では

英彦山総合調査報告会があり、町は英彦山の航空レーザー測量で800超の建物跡を確認したことを明らかにした。山伏が生活した宿坊跡とみられる。英彦山は江戸時代の最盛期に「三千 八百坊」と言われ、3000人の衆徒と800の坊舎があったと伝えられており、それを裏付ける結果となった。

と、紹介されています。

こうした宿坊の歴史調査は今後も進んでいくものと思われます。

ということで、、、

宿坊の歴史は以前に記事で紹介しましたが、これは世界的に見ても特殊です。特に江戸時代、日本ほど庶民が大勢旅に出ることができた環境は、鎖国時代にわずかに入国したヨーロッパ人の記録を見ても珍しいものだったようです。そしてその旅の普及に宿坊は、「宿」という形式を超えた大きな役割を果たしています。

世界唯一の旅行大国を作った宿坊の歴史

わたしはこうした歴史ももっと掘り起こしていきたいし、その価値を世の中に伝えていきたいと考えています。

そして現在、宿坊は新たなビジネスチャンスや地域活性の手段として、国や企業から注目されています。ですが一方、過熱しすぎて信仰が置いてきぼりになると心配する声があるのも間違いありません。

が、私が思うに「宿坊」という言葉は広まれば広まるほど、これまで忘れられ、消えかけていた信仰が見直される機運にもなっていきます。

多少の皮肉を込めて言えば日本人は横並びが好きなので、「いろいろ話題になっている宿坊というものは何だ?」という声が生まれたら、宿坊はあちこちの地域で予算をかけて調査されるようになるでしょう(なので宿坊が古くからあった地域は、二匹目、三匹目のどじょうになる前に、早めに仕掛けた方が良いですよ)。

ビジネス的な注目を起点にして、失われてしまいそうな寺社や日本の歴史・文化を、次世代につなげる流れを作れるのが宿坊の良さです。なので私は宿坊がビジネスに食いつぶされるという心配よりも、どんどん注目を集めていくのが得策と考えています。

似たようなことは以下の記事にも書きましたが、「消費されること」は悪いことではないのです。

お坊さんバブルで仏教が消費されることを危惧する方へ

こんな考えのもとで、宿坊を広めていこうと考えています。

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