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お寺・神社には信仰心を持ってから入れという不可解な意見

過疎地域

寺社Nowでも紹介させて頂いた、地域おこし協力隊と寺社が組んで宿坊を生み出すモデル。これがいろんな方の間で反響を呼んでいるようです。

肯定的なもの、否定的なもの、それぞれありますが、否定的なご意見の中に気になる論調があったので考えてみました。

それは「地域おこし協力隊には、信仰心を持って神仏と向き合うことはできないだろう」というものです。

地域おこし協力隊は、本当に神仏と向き合えないのか?

当然のことながら、地域おこし協力隊は僧侶でも神職でもありません。それどころか人生の中で、寺社と深い関わりを持っていたという人の方がまれです。そんな人にいきなり、バリバリの信仰心を持てというのはちょっと酷です。

宿坊は「お寺・神社」と「宿泊施設」の組み合わせです。当然のことながら必要なのは宗教だけではありません。宿泊運営に足りない要素(ノウハウや時間など)を補う要員として地域おこし協力隊(もしくは旅館経営の会社なども可)は入ります。

もちろん、神仏をまったく敬う気がなかったり、わざと粗雑に扱うなどあれば別ですが、作法が分からず、結果的に敬う形が取れていないのは信仰心とは別問題です。

地域おこし協力隊にとっても、宿坊は未知のチャレンジとなるでしょう。はっきり言えば、単純にゲストハウスを運営するより難しいはずです(その分、見返りも大きいと考えていますが)。

あたふたしながら、おろおろしながらでも、そして僧侶・神職から見て「なんだ、こいつは」と思うようなことがたくさんあっても、それはほとんどの場合、悪意からではありません。

求められる信仰の深さはどこにあるのか?

信仰心がないからダメだというお坊さん・神主さんが要求しているレベルは、たいてい自分、もしくは身の回りで寺社に精通している人を基準にしています。

仏教・神道の教えも、仏事・神事の作法も、専門にその道を進んだ僧侶や神職が一生かかっても極めることができないくらいに奥深いものです。それを専門外の人間に完璧を求めるなんて無茶です。

これはその他の専門家で考えれば分かりやすいでしょう。病院に入った医療事務担当者が、医者と同じことができないからと怒られるのは理不尽です。薬剤師や放射線技師が医師と同じ能力を求められたら、自分の専門を磨くこともできません。

病院については職能スキルの話ですが、信仰心も誕生時に「天上天下唯我独尊」と語ったお釈迦様や、二歳で合掌して「南無仏」と称えた聖徳太子レベルの人物でなければ、深めるのに時間がかかるのは同じでしょう。私はお寺にも神社にもたくさん知り合いがいますが、成長の過程でお坊さんになるべきか、神主になるべきかを迷ったという人はたくさんいました。

なのでそもそも論として、「お寺・神社には信仰心を持ってから入れ」というのは、不可解な意見と私は考えています。信仰心を持ってから入るのではなく、入ってからでないと信仰心なんて育みようがない。お寺・神社に来る人がみんなマックスパワーを求められるなら、仏教・神道を伝えるお坊さんや神主さんのいる意味がありません。

地域おこし協力隊だけの宿坊で、宿泊者は神仏と向き合えるか?

これは向き合えないでしょう。少なくとも、信仰心がないとダメという人の要求レベルでは無理です。ですがこうした人は、宿坊の役割自体を誤解しています。

宿坊はお寺・神社の中でも、これまで寺社と接点のなかった初心者が入りやすいファーストポイントです。そして檀家・氏子と異なり、宿泊者と濃密な関係を作るものでもありません。

簡単に言えば、出入りの自由さが宿坊の良さです。仏教・神道にちょっとだけふれてみて、そこで良いなと思えば深く入りますし、自分に合わないと思えば出ていきます。なので宿坊に来る人に、ベテランレベルで神仏と向き合えと言っても、それはむしろ宿坊の強みをつぶすことにしかなりません。

また、住職が常駐していた方が、様々な面で宿泊者が神さま仏さまと向き合いやすいのは当然です。ですが寺社Nowの記事では「住職の常駐が難しい状況」を前提としています。そしてたとえ住職が常にいなくても、ファーストポイントとしての機能を宿坊が果たすことは不可能ではない。私はお寺・神社には、そのくらいの力があると考えています。

ちなみにここで言うファーストポイントの機能とは、100人泊まれば1人くらいは仏教・神道への興味を深め、自宅近くの座禅会に行ってみたり、仏教・神道の本を手に取ってみたりすることです。また、お寺・神社で一日を過ごして日常を振り返り、人生に何か良い影響を与えることなども含みます。

信仰心がないとダメという人の要求では、そもそもそんなレベルの人間は認めない! ということになるのでしょうが、それくらいゆるい接点がなければ大多数の人はお寺・神社には入りません。入ったら後戻りできないイメージは、確実に日本で宗教が怖がられている要因のひとつです。

なお、ゆるい接点が寺社と人をつなぐという私の考えは、以下の記事にもまとめています。

美坊主コンテストを痛烈に批判する人が見ようとしないもの

お坊さんバブルで仏教が消費されることを危惧する方へ

堀内の企画術。仏教への道を階段状にすると、お寺とコラボできます。

それと蛇足ですが、寺社の場を生かすための努力や研鑽は、もちろん地域おこし協力隊にも求められます。そして地域おこし協力隊が動きやすくなるためのお坊さん・神主さんのフォローも欠かせないでしょう。

ということで

以前、『お寺が排他的なのは、私たち「よそ者」のレベルが低いからです』という記事を書きました。私が実際に宿坊に携わる地域おこし協力隊に話すとしたら、こちらの考えを語ります。

一方、お寺や神社の方に向けて、考えることは上記の通りです。究極的にはよそ者を活かすも殺すも内部の人間次第であり、どんなにやる気と実力ある人間がいたとしても、立場の強い内側の人間が拒否すれば排除されてしまいます。

そして日本全体で信仰心の総量というものがあるとすれば、信仰心を持たない人(持てない人、ではありません)を寺社が排除し続けると、確実にその総量は減っていきます。

あるものを刈り取るだけではなく、ないところから育む姿勢も、これからますます大切になっていくのではないでしょうか。

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