住職(親)の引退まで動けないとぼやく副住職に伝えたこと
このところ似たような相談(というか、ぼやき?)を、連続して頂きました。それは住職(親)が引退して自分の代に変わるまで、新しいことはお寺で何もできないという副住職(息子)さんからのお話です。
人によってケースは異なりますが、大まかな共通項としては
○住職やその奥さん(つまり、両親)は、新しい何かを始めることには否定的
○檀家さんや葬儀などは減っていて、このままだとお寺はいずれ苦境に陥る
○将来について話してみたけど、何も変わらなかった(あるいは、話す空気さえ作れない)
というものです。
特に現在は民泊型宿坊支援サービスの『テラハク』が誕生したので、こちらに興味はあるけど宿坊なんて話し合う土台が作れないというお話を、複数の方から同時にお聞きしています。
「副住職は服従職ですから」なんてダジャレも聞きますが、ほーりー的にはうまいこと言ってる場合じゃねえと思います。
親世代が新しいことに否定的なのは当たり前
ご相談頂いた方の家族年齢をそれぞれ詳しくお聞きしたわけではありませんが、副住職が30~40代と過程すれば、住職夫婦は60~70代くらいとなります。
そして人生80歳まで生きるとしたら、親世代はあと10~20年なわけです。100歳まで生きるならまだ40年くらいありますが、そこまで住職を続ける方はごくごく一部ですし、お寺の責任をすべて持つのは20年が限度でしょう。
つまり自分がその立場にいると想像すれば、リスクを取って新しいことにチャレンジするより、じり貧を感じながらも無難に務めをクローズさせる方が、よっぽど楽だしメリットも大きいことが分かります。
まあ、別にこれはお寺に限らない話ですよね。超高齢化社会を迎える日本では、「シルバーデモクラシー」が問題になっています。これは有権者のうち高齢者が占める割合が高いため、その世代の意見が過剰に反映されやすい政治状態を指す言葉です。
年金改革の必要性はずいぶん前から叫ばれていますが、未来を担う子育て世代を犠牲にしても、年金を維持する圧力の方が強く存在していますし(それでもできなくなってきたところに、末期症状を感じますが)。
久々に年金手帳見てキレそうになった、寝言は寝てから言えクソ pic.twitter.com/WBAwzYJGbh
— 明和いなろく🍓7/2〜7/7PaRiPi🍸🍈 (@InaroQ) 2018年6月18日
なのでまあ、住職が動かないのは人間の本能みたいなものなので、それは責める話ではないと、ほーりーは思うわけです。
50年はお寺を守る副住職が考えないといけないこと
一方で現在、30~40代の副住職さん。こちらが住職が聞く耳持たないから、何にもできないとぼやいているだけなのは、ほーりー的には無責任と考えています。
だって20年後に住職が引退して、その時にお寺がにっちもさっちもいかない状況になっていたら、その時点で「前住職、どうするんですか? 責任取ってくださいよ」と詰め寄るのでしょうか。
もちろんそんな理詰めで言われても、簡単じゃないのは分かります。ほーりーは務めていた会社を辞めて寺社旅専業になると親に伝えた時、「安定した職を捨てるなら、縁を切る」と勘当されかけました。
そこから2年かけてビジョンを伝えたり、数値目標をまとめたりして親を説得し、最終的に理解してもらえたかどうかはともかく納得はしてもらえました。
ですがサラリーマン家庭とお寺とでは、事情も親子関係も異なるはずです。師弟関係でもありますし、運命共同体でもあるでしょう。ほーりーができたからお前らもできるはずだなんて、一概に言うつもりはありません。
それでもあえて嫌な言い方をすれば、「話を聞いてくれないパパが悪い」なんてあっさりと諦めているのは、仏教者としても人間としてもどうなんだと思ってしまいます。
長い時間を経て今に残されてきたお寺には、それぞれ先人の想いや苦労も詰まっているでしょう。中には歴史の中で何度も危機を乗り越え、血を吐く想いで守られてきたお寺だってあるはずです。
それを思えば、時間に余裕があるうちに断られても無視されても変化を生み出す気概がなければ、きっと将来的に待ち受けるさらに厳しい局面には対応できなくなるでしょう。
そこで伝えておきたい。根性はロジックだ!
と、偉そうなことを言って終えれば、それはそれでピシリと締まるのですが、ほーりー的にはそれだけだと不十分だと考えているので、いくつか状況を変える方法論もまとめておきます。
人は本気を激しさで語り、他人は本気を時間で測る
私はこれをやりたい。こんなことを考えている。人間は自分の夢や情熱を、熱さや激しさで人に伝えようとします。ですがそれだけで簡単に賛同してくれる人は多くありません。
私のもとにも「お寺でこんなことをしたい」「こんな企画を考えてみた」と、話を持ってこられる方は多くいます。ですがその中で、3カ月後に何かをしていた人はほんのわずかです。
人は自分の情熱を激しさで語ります。しかし他人はそれを時間でしか測れません。なのでもしも本気を示すのであれば、淡々と続けることです。
これは禅宗の修行でも、そうだと思います。庭詰・旦過詰(禅宗のお坊さんは道場に入る際、最初は断られて入り口で入山を請い続ける)はある意味で形式化しているものでもあるでしょうが、本来的には相手に本気で断られたところから、それでも修行させてほしいと許可を得るためのものであったでしょう。
副住職が50年先を考えて動くなら、1年、2年、あるいは5年かけて両親の説得を試みたとしても、それは時間単位的には回り道でも何でもありません。
第三者に入ってもらう
先日、今回のケースとは別件ですが、住職の奥さんがお寺の仕事をしたがらないという相談に答えたことがありました。
周囲が「お寺に入ったからにはこうあるべき」と有形無形でプレッシャーをかけたために、感情的にも頑なになってしまったという話です。
閉じられた身内だけでの話し合いの場合、感情的にもつれてしまうことはよくあります。その場合には中立的な第三者を巻き込むことは一つの方法です。
先日、今年に入って宿坊を作ったお坊さんにお会いしたら、ほーりーのブログ記事を印刷して親に見せ、宿坊を開くことにも賛同してもらえたと仰っていました。
またお寺の中で感情的に行き詰っていたということはありませんが、ほーりーは大分県の長仁寺さんの家族ぐるみの話し合いにも参加させて頂いたことがあります(非公開の話を含めれば、他にもいくつか事例あり)。
もちろん身近で間に入ってくれる人がいれば、そうした方を呼ぶのも手でしょうし、客観的なデータをまとめて示していくのもありでしょう。
根性はロジックだ!
これはお坊さんの講習会でよく話をさせて頂く内容ですが、ほーりーは根性とは生まれながらに備わっていて、勝手に発揮される(逆に言えば、備わっていなければ発揮できない)ものではないと考えています。
根性とはテクニカルな技術です。身に付ければ、発揮できます。そこで講演で一例として紹介しているのが、以下の方法です。
とは言え、お坊さんであればわざわざほーりーからこんなことを言われなくても、仏教から幾らでも似たような言葉は見つけられるはずです。
経典にはこんな風に書かれていますなんて教えを説きながら、自分が何も実践していないのであれば、それは仏教自体の全否定でしょう。
最も身近な親に想いを伝えられなくて、世間に伝えることができるのか。「服従職」にはそれが問われています。
親は本気で息子を心配している
上の方で親世代の立場から見ると「リスクを取って新しいことにチャレンジするより、じり貧を感じながらも無難に務めをクローズさせる方が、よっぽど楽だしメリットも大きい」と書きました。
もちろんこれは嘘ではありませんが、一方で「新しいことには危険が伴う」という親のアドバイスや判断自体は利己的なものでもないとほーりーは思っています。
それは大部分、子供を本気で心配しての発言です。ただしその心配のベクトルが、自分の人生で得た成功体験から来ていることには注意を向ける必要があります。
数字として檀家さんや葬儀法要が減っていると感じていても、親世代の判断は新しい何かを始めるよりも盛り返すことを目指すのが一番理にかなっていると考えがちです。特にこれまでそれでうまくいってきたお寺ほど、最適解が過去への回帰なのは仕方ないでしょう。
以前、ソニー生命が発表した『子どもの教育資金に関する調査』についてブログに書いたことがあるのですが、これなんてとても象徴的でした。
子どもに就いてほしい職業ランキング。1位・公務員、2位・医師、3位会社員と看護師(同率)。一方で子どもに目指してほしい歴史上の人物1位はなんと、坂本龍馬です。
脱藩して故郷を飛び出した(=公的な身分を命がけで捨てた)龍馬を目指したら、公務員や会社員には絶対なれないと思うんだけどな~。
とは言え、この矛盾が親心なんですよね。
そこで必要なことは、リスクをなるべく抑えたスモールスタートと、少しずつ変革させるスローチェンジなわけです。
檀家数減少時代のお寺の方策なんて、まさにこうした考えから組み立てています。
いきなり今まで行ってきたことを、全てほっぽりなげて変えるわけではありません。これまでの檀家さんや葬儀法要はもちろん大切にしながら、欠けてきたところを新しい手段で少しずつ埋める発想が必要です。
どうしても身動き取れなければ、外で活動する
大抵は息子の本気が伝わってくれば、それなりに親としても(あるいは住職としても)耳を傾けてくれるとは思いますが、それでもまったく聞く耳持たない方はいるでしょう。
その場合には、お寺の外で活動をしていくに尽きます。
宿坊を作るようなお寺の中でないとできないと思われることも、いろんな宿坊を巡ってみたり、実際に宿坊を作った住職に話を聞いたり、民泊開設について調べたり、何なら近くの旅館やゲストハウスで働いたり、いろんな一歩は考えられます。
そしてスキルを習得したり経験値を積みながら準備を進めれば、開ける道も出てくるでしょう。
自分が今いる環境でできないことを嘆くのではなく、何ができるか探すことは大切です。そしてそうした小さな行動の積み重ねは、百万の言葉を重ねるよりも人の心を動かします。
ということで、、、
宿坊に関して言えば、「代替わりしたら始めたい」という言葉は何人もから聞きました。そして私も3年前であれば、ゆっくり時期を待ちましょうと言っていたと思います。
ですが民泊がスタートして、これから宿坊開設のハードルがどんどん下がっていく中、ずっと足を止めておくことは、取り返しのつかない機会損失になります。
これから3年、5年経った時に、宿坊を取り巻く環境はだいぶ変わっているはずです。すぐにスタートとはいかずとも、現時点で取り得る一歩を踏み出しておくことと、3年経って腰を上げるのでは軌道の乗りやすさは段違いでしょう。
これはYou Tuberみたいなものなんですね。「ユーチューバー」という言葉がない時にYou Tubeに動画を上げ続けた人はとんでもない上昇気流に乗っていきましたが、子供たちがみんな「ユーチューバーを目指す」なんて言い始めてから参入しても、すでに時遅しなわけです。
そこで宿坊開設の興味はあるが、住職と話すことができないと仰られていた方には、現時点から専門家に相談して、まずは課題だけでも洗い出すやり方もあるのではとお伝えしました。
その具体的な手段としては、『テラハク』への事前登録ということになるわけですが。
宿坊スタートアップミーティング開催。テラハク詳細が語られました
宿坊は一番タイムリーなので例に挙げましたが、他の活動でも話は全く同じです。
そう言えばお寺の樹木葬をオープンさせたとあるお寺の副住職さんは、住職や檀家さんたちとの意見調整でだいぶ苦労もあったようで、開眼法要で挨拶した時に感極まって涙を流されていました。
あの場面も、ほーりー的には印象に残っています。
何かやりたいことがある、今のうちにこれをしておかなければまずいのではないか。そんな危機感を持たれている方がいたら、ぜひまずは親の価値観とぶつかってみて下さい。
世の中は誰もが周りからの拍手と賛同を受けながら、自分の道を歩いているわけではありませんよ。