宿坊研究会が20周年を迎えたので、いろんなピンチを振り返る
2000年5月5日にオープンした宿坊研究会。なんとギリギリ前世紀からスタートしていますが、令和に入ったところで設立20年目を迎えました。
最初に本を出した頃は20代の寺社旅研究家と呼ばれたほーりーも、今やアラフォー世代です。人生の約半分を宿坊研究に捧げていたわけですが、こんなにどっぷりハマるとは夢にも思いませんでした。
そんなわけで、今回は宿坊研究会のヒストリーをまとめてみます。サイヤ人ほどではないにしろ、痛めつけられるとパワーアップするほーりーの足跡を振り返ってみましたよ。
宗教に関わる人間は、テロリストだと思われた
宿坊研究会を始めた頃は、まだオウム真理教事件の影響が、世の中に色濃く残っていた時期でした。
そんな時代に20代の男が一人で宿坊に泊まったり、座禅や写経に出かけたり。さらには1000人以上が参加する寺社旅サークル(宿坊散策会)を作って、毎週のようにお寺や神社に行きまくっていたのです。
するとある時、大学時代の先輩から、「なんか怪しくない。大丈夫なの?」と、心配されました。あー、寺社巡りって世間からは危ない人と思われるんだなと、思い知らされた瞬間です。
今でこそ仏像やパワースポット、御朱印ブームなどを経て、お寺や神社がポジティブに見られることも増えましたが、「宗教」や「信仰」という言葉への忌避感は、未だに日本を覆っています。
ネットの掲示板でもいろいろ言われていましたし、世間が見るほーりーは良くて変人、悪くてテロリスト扱いでした。
お寺で婚活なんて、罰当たりと言われた
高校は男子校、大学では機械工学を学んだほーりーの人生に、女っ気は皆無でした。そして女性と出会うようになった20代後半から始まる黒歴史の数々。そんな中でアレコレ人生を模索して、ひねり出されたのが寺社コンです。
開始してから11年。500人以上を結婚に導き、恋愛相談を受けたり、婚活セミナーでも講師として呼ばれる現在を見たら、「こいつは絶対、俺じゃない」と20年前のほーりーは叫んでいることでしょう。
まあ、それは余談として。この寺社コンを始めた当初も、ほーりーは鼻つまみ者でした。
お寺で婚活なんて罰当たり
仏教が欲を刺激してどうする
異性が隣にいて、座禅や写経ができるはずがない
他にも仲良かった旅仲間から、私も出会い系に関わってると思われるのが嫌だからやめろと言われたり、一緒に企画したお寺からは檀家さんからクレームが来たので中止させてほしいとお願いされたり。
そんな言葉をかけられながら寺社コンを続けてきたので、「ご縁を大切にしているお寺こそ、出会いの場としてふさわしい」と言われたり、宗派の公式な研修会で「婚活イベントの作り方を話してほしい」なんて依頼を頂いたりすると、私の方が戸惑ってしまうわけです。
ほめられて喜ぶ気持ちもありますが、それよりむしろ時代に追いつかれてきた危機感の方が増してきます。
明石家さんまさんの番組に出たら、副業が会社にばれた
世間から白い目で見られつつ、というよりも、世間から白い目で見られるからこそ、宿坊研究会には同好の士を求めて仲間が集まった部分がありますが、そこで目立った活動をしたことで、ほーりーは300件以上のメディアから取材を受けました。
そしてその中でも大きな反響があったものの一つに、『あっぱれさんま新教授』があります。
お昼の番組で明石家さんまさんと話をしたら、番組に出ている時から携帯電話が鳴りまくっていました。
出演中は携帯を持っていなかったのですが、終わってから着信履歴を見ると、すごいことになっていたのです。そして当時は会社勤めをしていたので、後日出社したらいろんな人から見たよと言われました。
幸いにして会社からは何も言わませんでしたが、寺社旅活動のことが思いっきりバレて肝を冷やした瞬間でした。
会社を辞めようとしたら、親から勘当されかけた
そんな感じで副業として続けてきた会社も、2012年に辞めて寺社旅活動を専業化します。
そしてこの時、ほーりーは親から勘当されかけました。正確に言うと、それ以前から「会社を辞めるなら縁を切る」と言われていたので、2年間かけて説得し続けたわけですが。
この経験は人生の中でも最も悩んだ時間でしたが、そのおかげでいろんなものを見ることができました。
その一つが親に逆らえない副住職に、発破をかける動機を得たことです。
一般家庭のほーりーと、親が師匠でもあるお坊さんとでは事情もハードルも異なりますが、それでも私は全力を尽くす気があるなら反対されてもめげない気概は必要と考えています。
ブログに考えを書いたら、あちこちで怒られた
宿坊研究会を立ち上げたら危ない人間扱いされ、寺社コンを立ち上げれば罰当たりと言われ、会社を辞めれば親から勘当されかける。
ほーりーはそんな人間なので、ブログを書いてもちょいちょい怒られます。一番反響が大きかったのは、以下の記事でしょうか。
ぶっちゃけ寺を見なかったと誇るお坊さんの、絶望的センスのなさ
この時はなぜかお坊さん達の間で「絶望的にセンスがない」という言葉が流行して、居たたまれなくなったものです。
また、あんまり詳しくは書きませんが、別の記事が原因でとある場所から出禁にされたという話も聞きましたし。
facebookでは時々、血祭りにあげられているのを見ることもあります。私の知らないところであれこれと、いろんな方が火消しに奔走されたこともあったようです。
アンチほーりーに嫌われるのは仕方ありませんが、お世話になっている方にご迷惑がかかるのは、心苦しいところです。が、委縮しすぎても伝えたいことが伝わらないので、その辺は試行錯誤ということで。
まあ、仕方ないよね。ほーりーだもの。
ということで、、、
派手なことが得意な人間ではないので、宿坊研究会が20年目に入ったからと言って、何か特別なことを行うわけでもないのですが、誰か酒の一杯でもおごってください。
しかしまあ、振り返ってみると、よくもこれだけ続いたと思います。そしてこの記事で言いたいことは、やっぱり人生は困難を乗り越えると一歩前に進むということです。
やりすぎると潰れますし、進んでピンチを迎えたいわけでもないですが、怒られたり反発を受けないことを人生の再優先事項にしてしまったら、あんまり面白い人生は送れない気がします。
というわけで、今後もご迷惑をおかけしつつ、一歩ずつ歩んでいきますよ。