お寺で囲碁を行って教えられた、人生は守りが起点になっているというお話。
今年の春に品川区のお寺や神社で行われた仏教総合体験イベント「向源」
その体験ワークショップのひとつに囲碁があったので、参加してみました。
しかもプロの棋士先生に対面で教えて頂ける超豪華レクチャー。
実は私は将棋は小学校時代から結構好きでした。
(でも、もうずいぶんやっていませんが)
腕前は高校時代に文化祭で将棋部の部員を打ち負かしたら、
部長がこのままじゃ帰さん! と出てきてこてんぱんに負かされたくらい。
しかし囲碁はルールも含めてほとんど未知の世界です。
そんなわけでわくわくしながらやってみることにしました。
そしてその結果ですが、
自分の陣地がどことか、勝ち負けを決める石の数え方とか、
その辺はあまり分からなかったのですが。
面白かったのは、囲碁は守って守って守っているうちに好機が訪れるということ。
囲碁は(知っている人には当たり前すぎる話ですが)
石の周りを相手の石で囲まれると、その石を取られてしまいます。
なので三方を囲まれたら最後のひとつに石を置かれないように、
自分の石を先において必死で守っていくのですが、
それを続けていくうちになぜか自分の方が有利になっていたりします。
あれ? ずっと攻められ続けていたのに、はて?
という、狐につままれたみたいな感じです。
中学時代からやっていたサッカーでは、
前線まで走りすぎて後ろの守りがおろそかになり、
そこから点を決められるといういけないサイドバックをやったこともある私ですが、
プロの先生の「まずは守りから」という言葉には、
何か人生に通じるものがあるな~と、
恐れ多くもルールをほとんど理解していないのに思ったりしました。
いや、そんな程度の理解で人生に通じる囲碁がすごいのかもしれませんが。
寺社旅専業として独立してからの私も、
基本的には守って、守って、守って。
もっともっとあれもやりたい、これもやりたいということはあるのですが、
まずは目の前のものをしっかりこなそうということで、
ひとつひとつ向き合うことを心がけています。
しかしそれが囲碁のように、
いつの間にかいい攻め手になっていることがあるのかも。
なんて、ちょっと思ってみたり。
ついでですが、囲碁とお寺の関係について。
京都の金戒光明寺には日本に囲碁を伝えたと言われる
吉備真備(きびのまきび)ゆかりの吉備観音が安置されています。
そんなわけで囲碁大会が開催されたり、囲碁上達のお守りもあったりします。
それと関係ないけど、囲碁と言えば好きだったのはヒカルの碁。
巧みな心理描写と熱い駆け引きで、
囲碁ルールも知らないのにこの漫画は燃えました。
読んでない方がいればネタばれになるのであまり詳しくは書けませんが、
特に好きなのは主人公のヒカルが
いなくなったパートナーの佐為(さい)を探しに広島までいった場面。
あちこちとお寺巡りをしています~。
たぶん、この場面が最大の見せ場と思う阿呆は私だけかもしれません。
ヒカルの碁 (ジャンプ・コミックス) 小畑 健 (著) ほった ゆみ (原作) |
てことで、お寺で囲碁をやってみて思ったつれづれでした。