寺社旅研究家として独立して3年。好きを仕事にした7つの理由
私が会社を辞めたのは、2012年7月31日。そこから今日で3年が経ちました。会社を辞める前に読んだフリーランスになるための本では、3年後に生き残っている確率は10人いれば3~4人となっていたので、まずはなんとしても3年生き延びることが目標でした。
「独立成功 完全マニュアル」 (アスカビジネス) 塚田 祐子 著 |
この3年間は本当にいろいろありました。計算通りにいったところもあれば、いかなかったところもあり、常に将来の不安とも戦う毎日です。3年生き延びた今は、じゃあ次の3年は生き延びれるのか? と、思っていますし。この辺は会社員時代と全く違う心持ちで生きていますね。
ですが、私が安定した生活を捨ててまで、フリーランスとして寺社旅活動に専念した理由は7つあります。そこで今回は振り返りと初心の確認も兼ねて、独立当初に考えていたことをまとめてみました。
ほーりーが好きを仕事にした7つの理由
オンとオフをリンクさせたいため
オンとオフ、一般的には切り離すことが好まれると思います。ですが私は逆につなげたいと思っていました。
私は会社勤めをしていた時、職業はシステムエンジニアでした。会社の仲間は今振り返ってみても良い人ばかりでしたし、12年も働いて人間関係について悩むことは(ゼロとは言いませんが)ほとんどありませんでした。
これは一般的に言っても、かなり幸運な職場だったと思います。なので会社を辞めるときに大きく悩んだことのひとつは、この良好な職場環境から自分が抜けてしまうことでした。
ですが、当たり前と言えば当たり前ですが、仕事は自分の意志だけで方向性を決められるものではありません。特に私が関わっていたのは金融関連の超大規模システムでしたので、舵取りは上層部のものでした。
例えば日常の中で困っている人を見かけた時、フリーランスであればそれをヒントに仕事を作る(困っている人を助けるサービスを生み出す)ことができます。ですが残念ながら私が務めていた職場では、そうしたものが入る余地はありません。
自分が動きたいと思う動機は、オンオフ関係ない。私はそう考えています。むしろ遊びの中から世の中にこれがあればという発想を得ることが多い私にとって、フリーランスという働き方は、理に適っていました。
寺社に24時間365日関わっていたいため
私はお寺や神社が好きです。そして寺社のことを常に考えていたいし、逆に寺社以外のことに関わる時間はなるべく減らしたいと思っていました。
ここまで寺社が好きになったのは、会社で働き始めてしばらく経ってからでした。寺社旅や宿坊研究は大学時代から行っていましたが、入社した20代前半頃はむしろサッカーに興味がありました。
(当時はJリーグの試合会場で、初心者と一緒に試合を見ながらサッカーのルールや選手の特徴などを解説する、公式チューターという活動も行っていました)
そして20代中盤になって宿坊の本を出したり、どんどんと人生の興味が寺社に向かっていく中、仕事で表現したいことと人生で成し遂げたいことのかい離が激しくなっていきます。この頃から、いつか寺社に関わる仕事につきたいと考えるようになりました。
私は20代になったばかりで、仕事の中身も社会の仕組みも見ることなく決めた会社で、40年以上も人生の時間を過ごし続けることは無理だと考えています。仕事を知ればどんな働き方をしたいか考えますし、社会を知ればどこで自分の力を生かしたいかも見えてきます。
それを考える上で会社勤めはとても役に立ちましたが、考えがまとまってしまった以上、そろそろ次のステージに移るべきという想いに突き動かされました。
交通事故で腰を痛めたため
私は20代の時、一度事故に遭いました。その時に腰を痛め、1週間ほど立ち上がることもできなくなったことがありました。そしてショックだったのは身体が治り、元通りになったと思ったのに、仲間とフットサル(5人制のミニサッカー)をしていたらまた腰に痛みが走り、動けなくなってしまったことです。
健康には自信があった私にとって、身体を動かすこともできない時間は大きなショックでした。それ以降、大好きだったサッカーは怖くて一度も行うことができません。そして本当に好きなことも、いつか自分の身体が動かなくなれば、楽しむこともできなくなるのだと悟りました。
サッカーをやめてから、私は狂ったように寺社旅を続けてきたと思います。そしてそれは人生においても同じです。今できることを、今やりたい。それは会社を辞めて、寺社旅研究家という聞いたこともない道に飛び出す原動力になりました。
収入のめどが立ったため
前に進みたい、寺社旅を人生のフィールドにしたい。そうした想いが膨れ上がる一方で、未知の世界への怖れや恐怖もありました。端的に言えば、「それで食っていけるのか」です。
なので会社勤めをしながら、様々な形で収入の当てになるような方向について、実験を繰り返しました。
おかげさまでこの実験はある程度の成功を納め、会社を辞めてもサラリーマン時代と同程度の収入は確保できるという目算が得られました。そして3年は何とかいけるという計算のもと、スタートを切ることにしました。
3年経ってみて、全部が計算通りには行きませんでしたし、当てにしていた収入が消えてしまったこともあります。ですが、逆に予想もしていなかった収入の道が生まれたりもして、どうにか生き続けることができています。
勇気づけてくれる先駆者がいたため
寺社旅活動を続けるうちに、実際に起業された方と知り合うことができたのも幸運でした。「できるよ」「やれるよ」という単純な励ましから、事前にこういう部分を注意した方がよいとか、ここは準備しておくべきなど、アドバイスを頂けたのはありがたかったです。
私はかなり臆病な性格なので、何より身近に先駆者がいるというのは心の支えになりました。そして絶対に生き残っていくという想いと、だめだったとしてもまた別の場で働けばよいという正反対の考えも持つことができました。
悲壮感を漂わせ、特攻隊のように進んでも上手くいきません。適度に力を抜きながら前に進めたのは、こうした方々のおかげです。
なので私も、前に進むべきかどうかで悩んでいる人がいれば、恩送りではないですが、できるだけ力になっていけたらと思っています。最近、仕事で寺社と関わりたいという、いろんな方の相談にも乗っていますが。
周囲が理解してくれたため
私が会社を辞める意思を持っていると親が知った時、大反対を受けました。たぶん、決して少なくない親が、息子が安定した職業を捨ててフリーで働くと聞けば、同じ意見になると思います。
結局そこを理解してもらうには2年かかりましたが、いろんな話し合いを経て納得して(まではいなかったかもしれませんが、首を縦に振って)くれました。
そして妻(その時は結婚前なので、彼女)も、私の独立に理解を示してくれました。会社を辞めることでお別れになるかもという不安もあったので、これには本当に助けられました。
生まれてからずっと私を育ててくれた両親と、これからの人生を共にする妻。私の独立に対して、一番不安を抱かせているのはこの3人だと思います。そんな周囲から応援をして頂けるのは、感謝しかありません。
宿坊が減っていたため
私のメインテーマは宿坊です。そして宿坊は現在も少しずつ減っています。また、宿坊に限らずお寺や神社が失われたり、放置されたりという話も独立前から(現在ほどではありませんが)聞いていました。
独立した理由の1~6は私の個人的な理由ですが、一つだけ大好きな寺社を次世代につなげていきたいという想いだけは、社会に対して自分ができることを意識しています。
具体的に言えば、私がシステムエンジニアをやめても日本の金融システムの片隅にもひびが入ることはありません。ですが私が寺社旅活動を行わなかったら、今後失われていく宿坊は10、20と増えていくかもしれません。
さらに言えば私が寺社旅活動に専念すれば、回り回って日本の金融システムにだって影響を与える可能性もあります。
システムを設計したり作ったりできる人はたくさんいますし、足りなければ教育プランも充実しています。ですがたいしたお金にもならず、将来の見通しすら不安定な中で、24時間365日寺社のことに頭を使おうと考える人間はほんのわずかです。
なので社会に足りないパーツはどちらかと考えた時、私はシステムエンジニアより、寺社旅研究家だと判断することにしました。ついでに言えば足りないパーツは社会が大きく変化しても(例えば10年後、20年後に、エンジニアの仕事が人件費の安い国に取って代わられたとしても)食いっぱぐれにくいのではないか。
そんなことも考えています。
まとめ
ということで、私が会社を飛び出してフリーランスになった時のことを思い出しながら、考えていたことをまとめてみました。
ある部分で青臭いところもあり、今では恥ずかしくなることもありますが、基本的な考えは今もそれほど変わっていません。
この3年間でも状況は劇的に変化しました。楽しいこと、苦しいこと、たくさんありますが、それでも多くの方の支えもあり、充実した人生を歩み続けています。
ということで、今後ともよろしくお願いいたしまーす。