スタンダードで一流の法話は、これから活躍の場を失っていく
先日、東京・護国寺にある真言宗豊山派宗務庁舎にて、法話研鑽会の研修で講師をさせて頂きました。
その内容は以下にレポートしましたが、結構反響あったみたいです。他宗派の方から同じ話を聞きたいと、早速講演依頼も頂きました。
そこで今回はもう少し、この内容を深掘りします。
ほーりーが前提として考えている社会変化
現在の世の中は、重複を必要としない社会です。極端なことを言えば、お坊さんがみんな同じスタイルで法話をするなら、一番上手い人が一人いれば良いということでもあります。
ここで言う「必要僧侶数」とは、社会が受容できるお坊さんの人数を指します。今回は特に法話がテーマなので、法話会を開催できる数と読み替えてもよいでしょう。
そしてこれは流通業界を見れば、分かりやすいかもしれません。かつては町に点在していた酒屋さんは、みんなコンビニエンスストアになっていきました。本屋さんはAmazonの台頭により、どんどん潰れています。
しかしこうした話をすると、本屋と法話は違う。人間同士が向き合って話すことが大切だという反論が来たりします。ですがこの生身が大切という話も、アートの歴史が否定しています。
スピーカーのない時代、音楽は直接演奏してもらわないと聞けないものでした。テレビや映画のない時代、物語は能や歌舞伎、あるいは街角の紙芝居で伝えられてきました。
当然ですが生の演奏や舞台に、現代でも価値がないわけではありません。しかしテレビやスマホによって、代替手段が増えたことは確かでしょう。そして超一流の価値は肥大的に高まりましたが、二流以下、あるいは一流も含めて価値を減じているのが今の社会です。
これまた比較として適切かは分かりませんが、婚活イベントを11年続けているほーりー視点で言えば、好きなタイプの話をすると芸能人の話題が出ることがあります。
江戸時代頃は町一番のイケメンや美女は、それこそ世界一と言い換えても構わないモノでした。まあ、浮世絵の美人画などで、どこそこのお茶屋の看板娘が話題になることはありましたが。
ですが現代では画面越しの福山雅治や羽生結弦より、目の前にいる生身の男性の方がかっこいいと言い切れる人は少数派かもしれません。
法話も同じで、生身には生身の良さがあります。しかしそれ以外の価値を軽んじすぎると、足元をすくわれます。
実際にお坊さんが人生相談に答えるサイト、hasunohaは大人気です。回答者は生身の僧侶ですが、機械の力によって大きく拡散されています。
hasunohaで人の悩みに答えるお坊さん達が悩んでいること
これは同じ悩みに答えた一人のお坊さんの言葉が、何百人、何千人に届くということでもあります。それは裏を返せば、一人一人対面で話していたお坊さんの活躍の場が失われたということかもしれません。
多様性やロングテールが存在感を高める時代の法話
現代は重複を必要としない一方で、多様性やロングテールが存在感を高める時代です。
最近、急激に語られる場面が増えてきたLGBT(性的マイノリティ)もこうした流れの中にあります。最大公約数からこぼれた苦悩が、世間からキャッチアップされやすくなってきました。
「キモくて金のないおっさん」という言葉もあります。社会的弱者には手を差し伸べるべきという論調は盛んですが、その手が差し伸べられるのは美しいものだけという問題提起です。
みんなが共通してもつ悩みより、誰にも共感されない悩みの方が深刻な場合が多々あります。そして本来仏教は、こうした従来の枠組みからこぼれている人と向き合うことに力を発揮していた教えではなかったかとも、ほーりーは個人的に思います。
なのでそれを図示したのが、以下のスライドです。
これからは得意なことを生かした法話、一つの分野に特化した法話に価値が集まります。
自分の法話は宗派内でもナンバーワン! と、言い切れるお坊さんは、グラフの左側を目指しても良いでしょう。
ですが、それ以外のお坊さんは、法話ももっと枠をはみ出していった方が人の心に届きやすくなります。そのための思考や場作り法が、今回伝えた内容でした。
ということで、、、
宗派やお寺(師匠?)によっても変わるようですが、個性を出さない法話、自分の意見を極力述べない法話が大切と教えられてきたお坊さんも多いようです。
当然ながら、どこでも個性を積極的に出すことが正しいわけではありません。お葬式などでそんなことをしたら、きっと大ひんしゅくでしょう。
ですが現時点を見ても、仏教と何かを組み合わせたセカンドスキルを活かした法話などには注目が集まっています。
またこの前、ツイッターを眺めていたら昔はテレビを見るとバカになる、ビートルズを聴くと不良になる、ファミコンやると成績が落ちると言われていたなんて話題が飛び交っていました。
なので結局、世の中のスタンダードなんて、どんどん移り変わっていきます。むしろ今は色物と思われている法話の方が、時間が経てば正統派と言われてくるかもしれません。
ということで、ほーりーの性格がひねくれていることもありますが、今回の講演は私が聞きたい法話がテーマです。なのでどんどんおかしな法話を生み出してほしいですし、周りから白い目で見られても新たなことにチャレンジするお坊さんを、心から応援しています。