洞察力のない人は、他人の失敗を予言する
昨日、『日蓮宗はいい加減、身延山の観光ガイドを作ろうよ』という記事を書きました。
3行でまとめると、
○日蓮宗の総本山、身延山久遠寺は桜の時期を除いてあまり人が訪れない
○身延山には観光が盛り上がる要素が多い
○身延山は本気を出せば、一大観光拠点になる可能性を秘めている
という内容です。
私自身は宿坊をメインテーマに寺社巡りをしているので、たぐいまれな宿坊街を残している身延山は、ものすごく推したい地域です。
失敗原因を見つけることは、脳みそ使わなくてもできる
それで上記記事の中では同じ宿坊のある本山として、和歌山県の高野山と比較しています。
私は高野山が今みたいに盛り上がる前から高野山も身延山もお参りしていますが、例えばこの十数年を比べた時、両者の変化速度の差に驚きます。
人が来る来ないだけを持って成功・失敗を論じるわけではありませんが、それでも高野山の盛り上がりは多くの人が認めるところでしょう。お坊さんや仏教に親しみを持つ場として多大な成果を上げていますし、地元のみならず日本全体への経済的な寄与度でも大きく貢献しています。
もちろん客観的に見て、高野山の資源は他を圧倒しています。高野山霊宝館は国宝21件を有していますし、戦国武将のお墓が並ぶ奥の院は異次元のスポットです。世界遺産にも登録されましたし、人が人を呼びこんで大活況を呈しています。
では、ひるがえって身延山はどうなのか。久遠寺の国宝所有数は1件です。重要文化財も含めれば、ますます高野山とは差が開きます。
ただそうした差を持って、高野山の賑わいは別次元の出来事と思うのは、あまりにも早すぎると私は思うのです。
私は身延山にポテンシャルを感じる要素として、以下の7点を挙げました。
・都心から低料金でアクセスできる
・お寺の景観がものすごく壮大
・門前に宿坊が並んでいる
・湯葉という名物がある
・富士山が近く、外国人の観光誘致がしやすい
・桜以外にも美しい四季や年間通した行事がある
・街やお寺に思わず巡ってみたくなる小ネタが多い
洞察力を磨きたければ、他人の成功を予言しよう!
少し前置きが長くなりましたが、今回の記事で言いたいことは、高野山と身延山の比較ではありません。
私は洞察力を磨きたければ、他人の成功を予言するのが早道だと感じています。というか、洞察力がないのにある振りをする人に限って、他人の失敗ばかり予言してます。
これはいつも言っている話ですが、新しいことへの挑戦って大抵は失敗します。私なんて10個やれば9個は失敗してますね。
写真は日光にある滝尾神社・運試しの鳥居ですが、この小さな穴に石を投げて通すようなものです。
ただこれは、考えてみれば当たり前です。新しく生み出したものは古くから受け継がれたものと比べ、課題や人の感情にもまれていません。それだけたくさんの穴や隙がありますし、ほとんどが世間のふるいにかけられて消えていきます。
コンビニなんて毎週100種類以上の商品が作られていますが、1年以上棚に並ぶ商品はわずかです。メーカーだって予算と時間をかけて一生懸命開発していますが、今の複雑な社会では世に出してみなければ反響は分かりません。
チェルフィッチュの舞台で感じた、コンビニの過酷な現場。1年に7割の商品が新陳代謝で消える。「あのアイス好きだったのに」という消費者の思いはマスの力で潰される。新商品には次々とチープな名前が付けられるが、すぐに消える。その儚さが「スーパープレミアムソフト……」という題名に現れている
— Hajime T (@hagetakax) 2014年12月12日
お寺に漫画図書館をプロデュースした私ですが、ジャンプで第一話を読んで超感動して、思わずブログにも書いちゃった『ダブルアーツ』という漫画なんて、半年くらいで打ち切られちゃいましたよ。
< | ダブルアーツ コミック 全3巻完結セット 古味直志 著 |
作者の悲鳴が聞こえるような最終話以外、私は今でも名作だと思っていますが。ちなみに同作者が描いた『ニセコイ』はジャンプのラブコメで最も長期連載した作品になっています。
話がそれました。
なので、どんなに用意周到に準備して一生懸命作り上げても、失敗するのはデフォルトです。世の中に必要なのはさいころを二つ振って1が二つ出ないことを言い当てたと喜ぶ人ではなく、何度外しながらでも1のぞろ目に賭ける人です。
ちなみに最近のほーりーの予言
私の一番古くて一番タイムリーな予言は、「宿坊は世の中に広まっていく」というものです。
17年前に宿坊研究会をスタートさせ、宿坊ブームを生み出していきました。「生み出した」という辺り、途中までは力づくで当てた感じかもしれませんが、自民党本部にも呼ばれ、宿坊が趣味を超えて政策にまで加わっている現状はまさしく予言成就です。
「座禅」「写経」「精進料理」のブームも当てています。宿坊研究会では「宿坊」を加えたこの4項目をお寺体験の柱にしていますし、「縁結び」「お守り」なども含めれば、私の寺社関連の予言的中率はその辺の占い師の比ではありません。
(もちろん書いていないだけで、外れた予言もたくさんあります。韓国のお寺巡りとか面白いとは思ったのですが、反日感情が高まって大外れでした)
お坊さん達の活動も注目が高まる前から、いろいろ顔出していますし。
フリースタイルな僧侶たちとか、hasunohaとか、向源とか、数え上げたら切りありません。もはや、お寺界の座敷童と呼ばれてもいいレベルです。私は幸せを運ぶよ。
そして現在は仏前結婚式や樹木葬にも予言を立てています。先日書いたご祈祷もそうかな。なので私は身延山も、これから盛り上がっていく方に賭けています。
まあ、こんな感じでこれは盛り上がるんじゃないか、これはきっと世の中に広まっていくということを宣言するのは、自分自身の洞察力を磨く訓練になりますよ。
失敗予言自体を否定するつもりはありませんが、
「そんなことをしても上手くいかない」
「あいつは何も分かっていない」
「ほら、見たことか」
ということをよく言っていて、成功予言を全くしない人は、お気を付けください。