ハロウィンが嫌いな人に、寺社を盛り上げることはできない
トリック オア トリート! 今年もハロウィンの季節がやってきました。
そしてここ数年定番になってきましたが、何の関係もない日本人がハロウィンに浮かれるなんてみっともないという上から目線がfacebookやTwitterを跋扈しています。
○バカ騒ぎしたいためにコスプレしている
○商業主義に乗せられてるだけ
○ハロウィンで盛り上がるなら、日本の伝統行事を大切にして
○街中にごみを散らかすな
○かぼちゃが嫌い
などなど。
が、私から見ればこういうことを言う人は、世の中には馬鹿が多いから、自分が大切にしている価値観が伝わらないという、責任転嫁が上手い人にしか思えません。
はっきり言いましょう。あなたが大切にしていることが理解されないのと、ハロウィンは何の関係もないですよ。そしてハロウィンを忌避する思考は様々な面で、自分の想いを世間に伝える障害になっていきます。
ハロウィンが嫌いな人に、寺社を盛り上げることはできない
「ハロウィンが嫌いな人に、寺社を盛り上げることはできない」と書きましたが、より正確に言えば「ハロウィンが好きな人を嫌いな人に、寺社を盛り上げることはできない」です。
本人がハロウィン嫌いでも、あれはあれで人を巻き込む勉強になる。ライバルとして研究し、自分の活動に活かしていこうと考えるなら別です。
もしくはいちいち反応せずに、自分のやっていることを淡々と行えば良いのではないでしょうか。
例えば上記で挙げたハロウィンに嫌悪を示す方の言葉について、ひとつひとつ見てみます。
バカ騒ぎしたいためにコスプレしている
日本のお祭りだってばか騒ぎはつきものです。私が住んでいる府中にはくらやみ祭というお祭りがありますが、司馬遼太郎が新選組副長・土方歳三を主役に書いた『燃えよ剣』では、このお祭りは闇の中で男女が一夜の関係を求めるいやんな場として描かれています。
まあ、それはさすがに現代の倫理には合わないとしても、神様が街中を巡幸するお神輿や山車、庚申待ちの酒宴なども、神事としてだけでなく遊びとして人々が盛り上がる場面を提供してきました。
バカ騒ぎ自体、ハロウィンと共に日本にもたらされたものではなく、「バカ騒ぎしたい」という人の感情が先にあり、そこにハロウィンが取り込まれただけのことです。
それがハロウィンの原形とは違うじゃないかなんて話は、本質的ではありません。日本の伝統だってしずしずとしたお上品なものだけではないですし、生まれた時から現代に至るまでどんどん形を変えているのですから。
「楽しく盛り上がりたい」という人の心を無視した方向に持っていっても、ついてくる人はごく少数です。
商業主義に乗せられてるだけ
これも、商業主義に乗せられている=悪だという風潮が解せません。というか、「乗せられている」という言葉にすでに悪意がにじみ出ています。
私はちょうど先日、京都の賀茂祭(葵祭)の歴史を紹介する講演を聞いてきましたが、平安時代頃には貴族が社交デビューするための場として使われており、「百年の費用を失うほど、贅を尽くした装束などを準備した」という話が紹介されていました。
そう考えれば、今に残る日本のお祭りだって、みんな商業主義がなければ残ってなかったわけです。貴族の出世を商業主義と捉えるのも意味合いは異なりますが、自分の家が反映するためにお金を投入したという観点で見れば同じです。
また、商業主義を排除するなら、莫大な資金を持つお殿様にお金を提供してもらうことが必要ですが、今の時代に照らし合わせれば行政からの補助金のみでお祭りをやるべきという話になるのでしょうか。そっちはそっちで、闇が濃いですよ。
もちろん商業主義である以上、お金を出す方はリターンを期待します。貴族が純粋に神事のためだけにお金を出したわけではないことと同じです。ビジネスと宗教を融合させるための私の考えは以下の記事に書いたので、ご興味あればお読みください。
商業主義には商業主義のメリットがあり、そこから目を背けても爆発力がないのです。
ハロウィンで盛り上がるなら、日本の伝統行事を大切にして
これこそ本末転倒な意見です。日本の伝統行事を大切にしてほしいなら、ハロウィンで盛り上がる若者を大切にしてと私は言いたいです。
これは地方における若者流出で最近よく挙げられる問題提起に似ています。
既得権を破壊せず、地域を活性化させて、しかも謙虚に皆様おかげですといって、多くを望まない若者とか望んでいるから誰も来ない。
— 木下斉/HitoshiKinoshita (@shoutengai) 2016年10月24日
伝統行事だって外から人を受け入れる度量がないのに、「あっちに行かないでうちに来て」なんて言っているから、誰も来ないんですよ。人が来なくていいと言うならそれはそれで構わないですが、ハロウィンで盛り上がる人に文句を言うのはますます筋違いになります。
これも前に似たテーマで記事を書きましたが。
初心者はもともと立場が弱い人間です。なので強者(コミュニティの主催者や常連)には、文句を言うことなく去る傾向も強いです。これは浄土真宗に限定した話ではありませんが、「どなたでも歓迎します」と言われていても、実際には居心地悪くてとてもいられないというお寺はたくさんあります。しかしそんなお寺こそ、長年足を運んでいる人には最高の居心地だったりします。
ハロウィンで盛り上がるな! という声を発する人は、ハロウィンが支持される原因から目をつぶっている自分の態度を改めた方が良いでしょう。
街中にごみを散らかすな
これに関しては意見そのものは同意ですが、ほとんどいちゃもんだと思っています。ごみを散らかすイベントなんて、日本のお祭りだってひどいよね。
たくさんあるからごみを散らかす人を是とするつもりはもちろんないですが、「街中にごみを散らかすからハロウィンはひどい」という論法は、日本のお祭りならごみが散らからないという前提があって成り立ちます。
単にごみを散らかすのが許せないなら、日本のお祭りも含めて人が集まること禁止と主張すべきです。もしくはハロウィンと差別化したいなら、日本のお祭りのクリーン運動を推進すると良いでしょう。
かぼちゃが嫌い
うん、清々しくて、唯一共感した。私もブロッコリーのお祭りだったら、ハロウィン嫌いだったかも。
ということで、、、
こんなに書いていますが、ほーりーも別にハロウィンに想い入れがあるわけではありません。まあ、かぼちゃの帽子をかぶることに抵抗がないくらいには好きですが。
ただですね。毎年お決まりのようにこの時期になると「ハロウィン憎し」の投稿が増えるのも、なんだかな~と感じています。
ハロウィンで盛り上がるようなお祭り気質な人は、家の中にずっと引きこもっている人よりはるかに寺社に足を運ぶ可能性が高いです。そうした方へのアプローチを考える方が、よっぽど健全ですよ。
そしてこれからの時代、ローカルな伝統をたくさん保有している方が、価値が増していきます。グローバルに展開されたハロウィンなんて、日本でわざわざ体験することでもなくなるので。
ハロウィン嫌いな人はインバウンドも好きじゃない人が少なくないですが、外国人が来ることで日本の伝統が守られる。逆に外国人を締め出すと、外国文化が日本に入ってきやすくなる。そういった状況にこれからなってきます。
なのでハロウィンよりも日本の伝統をと訴える人(ほーりーも含む)は、インバウンドを推進すると良いですよ。