人間が一人で生きられる時代は、お寺に有利なトレンド
お坊さんと話をしていると、コミュニティの捉え方について違いを感じることがよくあります。宗派やそれぞれの寺院の実情にもよりますが、お寺は巨大な組織体です。
本山があり、日本中を張り巡らす寺院ネットワークがある。また地域共同体の核として、地元の人とのつながりも深い。
こうした組織に所属していると、大きなことは良いことだという価値観が強くなります。大企業に入れば安心だ、親方日の丸は潰れない。こうした思想にも似ています。
実際にこの考えには、一定の利があります。人類はこれまで狩猟や農耕に始まり工業や戦争、民主主義上での政治に至るまで数は大きな力でした。人は一人では生きることができません。「村八分」という言葉に象徴されるように共同体からはじき出されることは、昔の人間には死活問題でした。
しかしその状況が変わり始めたのは、昭和の高度成長期に入ってからです。核家族が増えたことは、生存に必要な成員数が小規模化したことを示しています。そして平成の世になり、単身世帯が増えてきたのも(少なくとも物理的には)人が一人で生きられるようになったためです。
これは宗教にも当てはまります。お寺でも「布教」「伝道」「教化」といった言葉は各宗派で盛んに使われていますが、人間は根源的にコミュニティを広げようとする性質があります。
しかし一方で、「家の宗教は終わった」「これからは個の教えだ」という言葉も、ほーりーはあちこちで聞きました。
これを伝統の軽視、家族の崩壊、個人主義の台頭というのは簡単です。が、ほーりーはこうしたものとも違うのではないかと感じています。
単純に言えば、「縁」の形が多様化したのです。
人類の歩みと縁の移り変わり
ほーりーは「縁」という漢字に一文字付け足して社会を考察してみるという、変な趣味を持っています。
人類は生まれて一番最初に「血縁」を手にしました。続いて村や小国家ができ、住む土地で人が結びつく「地縁」が役割を担います。
しばらくはこの2つを中心に社会は成り立ちますが、産業革命や高度経済成長が始まると、状況が動き出します。会社が人と人とを取り持つ「社縁」時代の幕開けです。
はっきり言ってこの社縁とお寺は、相性の良いものではありませんでした。檀家制度は血縁・地縁を軸に構成されており、社縁の躍進が今のお墓離れ、お寺離れの発端であったとも言えます。
しかしここにきて、大きく二つの縁が世の中に新たに生まれています。一つは「知縁」、もう一つは「異縁」です。
この二つは、ほーりーが作った言葉です。その定義を以下に紹介すると
「知縁」・・・知識や興味、問題意識を媒体に、人と人とがつながる縁
「異縁」・・・異なる環境や思想、技術を持つ人同士だからこそ、つながる縁
なぜ、この二つが生まれてきたのか。その背景にあるのはインターネットを中心とした情報社会の発達です。
「知縁」と「異縁」が生まれた背景
人間は自分と同じものを持つ相手に共感を覚えます。それは自分と同じ血筋(血縁)だったり、生まれ育った土地(地縁)だったり、所属する組織(社縁)だったりしました。
これらは見えやすい順から、縁として現れます。なので「知縁」自体も講中や趣味のサークルなど、昔から世の中には存在していました。
しかし知識や興味、問題意識が人と人とをつなげる「知縁」は、インターネットの普及によって急速に広がります。特にマイナーな趣味や特殊な悩みなど、身の回りでは共感を得にくいものほど顕著です。
私がやっている寺社コン(寺社好き男女の縁結び企画)も、そのひとつですし。
一方で「異縁」は自分と異なるものを持つ相手だからこそ、つながる縁です。これだけ聞くと、今までの縁の定義からは外れるように感じるかもしれません。
ですが現代は人類史上初めて、「群れることがリスクになる」と言われる時代です。肉体作業と異なり情報産業は同じスキルを大勢で持っても意味をなさず、むしろ管理や変化のコストばかりが増していきます。
しかし異なる背景を持ったもの同士が手を組む手段が増えたことで、自分とは異質の相手とも縁を結べるようになりました。私の知り合いのある会社社長は、社員の半分を外国人にすると宣言されていましたが、それが組織のパフォーマンスに直結する局面に達しています。
つまり異縁は目的を共有するために結ぶ縁とも言えます。会社の組織論ではダイバーシティ(多様な人材の積極活用)の重要性が、ここ数年強く問われてきました。地域活性分野では「わか者、ばか者、よそ者」なんて言葉も使われます。
ということで、、、
「知縁」と「異縁」はお寺にとって、相性の良い縁です。
仏教はそもそも人の苦しみと向き合う教えであり、人の興味や問題意識にはダイレクトにつながります。
また社会自体も「社縁」の枠組みから外れていた「お坊さん」への期待を高めてきています。私のもとには個人やベンチャー企業だけでなく、一部上場企業の方も「お寺と何かをしたい」という相談が送られてくることがあります。
大企業ですら社内だけでは完結できずにお坊さんとのつながりを求めることも、「異縁」の台頭を感じる一つの兆候です。
「血縁」「地縁」を核とした檀家さん・門徒さんのコミュニティを放り出そうという話ではありません。ただそうした縁から外れた人が増えているという話であり、新しい縁は新しい結び方でしか生まれないという提案でもあります。
特に日常の職場まで血縁が色濃いお坊さんは、外にいる人と縁の捉え方がだいぶ異なっていることも、注意を払った方が良さそうです。
縁の形が多様化することで、お寺にチャンスが巡ってきました。ほーりーはこうした縁を活かせるお坊さんサポートを考えています。