人間関係の苦手なお寺の奥さんにおすすめする、会話ヒット&アウェイ
少し前ですが、お坊さんのお姉さんから弟(住職)の配偶者に関する相談を受けました。
もともとこの奥さんは、結婚当初からお寺に入ることには消極的だったそうです。しかし家族としてはそのうち積極的になってくれるだろうと様子を見ていたが、何年経っても変わらずとのこと。そこで弟を愛しているのであれば、もうちょっとサポートしてあげても良いのではないかと、やきもきされていたようでした。
それに対するほーりーの答えは、以下のものです。
○お寺に入ったとは言え、本人の意思を無視して労働力と見るのは時代にそぐわない
○周りが押し付ければ押し付けるほど、感情的に頑なになりやすい
○奥さんは自由気ままにということではないが、弱い人の立場は尊重すべき
そしてこの記事を読まれた別のお寺の奥さんから、ほーりーに相談メールが届きました。上の記事は「私のことかっ?」と思われるほど、自分の悩みと一致されていたとのことです。
その方の状況を要約すると
○お坊さんとの恋愛を経て、結婚された
○お寺と距離を取ることに、夫(住職)から同意は得ていた
○しかし最近、不満を言われるようになった
というものです。
夫とは現在、話し合いをされているものの、妥協点はどこなのだろうかと悩まれているとのこと。そして奥さんがお寺に関わらなくても、やれている事例はあるかとのご質問でした。
人間はパーソナルな部分だけで生きているわけではない
そんなわけでこのメールに答えたことと、その後に思いついたことを追記して、ブログ記事にしておきます。まず「お寺に関わらなくてもやれている奥さんはいるか?」というご質問に対するほーりーの答えは、「もちろんそうした人はいるが、参考にはならないだろう」というものです。
なぜならお寺の規模や親世代の協力(あるいは反発)、同居・別居状態、お子さんの有無、周りの檀家さんとの人間関係など、これはお寺によって全く異なるからです。
(ついでに補足すると、質問者さんは「某地方寺院住職の妻」と名乗られていたので、ほーりーからはどんなお寺なのかも分かりません)
まあ、「○○寺は奥さんが関わらなくても、やっていけてるよ」という周りの説得材料にはなるかもしれませんが、そこまで具体名を挙げて紹介するのは気が引けますし。それにこうした状況も流動的で、親世代がいたから奥さんの出番がなかったものの、病気で倒れられたなどで急に呼び出されることもあります。
なので結局は、長期視点で自分がどのように生きていきたいかを考えるしかないというのが、ほーりーの意見です。
私が主催している寺社コンでは、これまで500人以上が結婚されました。また寺庭婦人さん向け講習会で講師をさせて頂いたり、家族ぐるみでお寺から相談を受けるにあたって、様々なお寺の奥さんからご意見もお聞きしています。
そうした中から感じることは、人間はパーソナルな部分だけで生きているわけではないということです。上記の住職も、最初はきっと「お寺には関わらなくていいからね」と言われていたのでしょう。
ですが、実際に一緒に暮らしてみると、両親や檀家さんから言われることや、お寺の実務で困ることが出る可能性はあります。その時に最初にこう言ったからと原理原則だけで夫婦関係と線を引き続けるのは、とてつもない負担になります。
住職ってね。ある意味で中間管理職なんですよ。なので人間関係のはざまに立たされやすい立場なわけです。そのため、もちろん全てを譲るべきとは言いませんが、軌道修正を受け入れることはとても助けになります。
お寺の奥さんが制限付きで顔を出す利点
今回、メールを下さった方は住職と話し合いの場は持たれているとのことですし、どこまで妥協するべきかが悩みの焦点だったので、その意味ではものすごく理解のある方でした。人によっては「そんなの知らない」と、完全にシャットアウトされることもある話ですし。
ただ本人としても、外にパートに出られていて、他にも家事やお寺の仕事と全部やってしまうとパンクすることは自覚されており、あとはそのすり合わせが重要なのでしょう。
そこであえて目線を変えるとすれば、ご本人にとってお寺の仕事で楽しめる(あるいは苦になりにくい)部分は何かを探すことです。
最初に紹介した記事の奥さんは、「細かな雑務は苦手だけど、人前に立つことは苦にならないタイプ」でした。今回のご相談では逆に「人前に出ることがちょっと苦手な方」のようです。
そして周りから奥さんはいないのと聞かれて、(メールを読む限り)ご家族がなんとなく取り繕っている状況が想像されました。
お寺や地域の状況によっても変わりますが、濃密な人間関係に身を投じることは、慣れない人間にはとことん精神を削られるものです。しかしずっと接点を持たないままだと、年月が経てばたつほど対応しずらくなります。
なので最初は時間を決めて、顔を出すのは良いかもしれません。お茶を出して、(無言ではなく)30秒だけ話してすぐに引っ込む。そんなヒット&アウェイを繰り返しつつ、住職などからちょっと忙しいのでとフォローを入れてもらえれば、それほど心象が悪くなることはないでしょう。
心理学的に言っても一回がっつり話すより、少ない時間でも何度も顔を合わせる方が、相手に好意を持って頂きやすいですしね。
そしてそこから話しやすい人、話しにくい人が見えてきたら、相性の良い檀家さんとは会話も少しずつ楽しめるようになってきます。逆に相性の悪い方とは(露骨にならない程度に)距離を置くべきです。
それができるなら最初から人間関係に苦手意識は持たないよと言われちゃいそうですが、一時の付き合いならともかく、お寺の中心地点に入ってしまった時点で何年、何十年と逃れていくのは難しく、結局はどこかで腹をくくった方が生きるのは楽になります。
ただしそこになじむための最大限のフォローは家族に協力を求めるべきですし、どうせ話し合いをするのなら、自分が楽しめる場を作るために何をしてほしいか探して要求することは必要と思います。
(さらについでに言えば、今はコロナでお寺に来る人はいつもより少ないでしょうし、在宅仕事も言い訳にしやすい状況です。なのでこうした、ちょこっと始めるにはうってつけでもあります)
ということで、、、
もちろんこれで、全部が上手くいくはずはありません。というよりも人間関係って基本的にしんどいものなので、上手くいかないことばかりです。
ですが「まったく顔を見せない嫁」という不満へのガス抜きには役立つでしょう。そして今は転びながらもちょっとずつ顔を出すことと、線を引いたまま30年後に(義両親が亡くなったりなどで)急に出ざるを得なくなった時のことを考えれば、前者の方が精神的にはずっと楽ではないかと、ほーりーがその立場だったら考えます。
不慣れなコミュニティに入った時に、何が一番怖いかと言えば、知らない話題や慣習にさらされることです。なので知ることで苦手意識が緩和される部分も多々あります。
一番最初の記事は奥さんを迎えたお寺の家族に理解を求めた話ですが、今回は入ってきた奥さんにお寺への理解を求める話です。
二つ合わせればお互いに歩み寄りが大切だよねという当たり前の結論ですが、0でも1でもなく0.1だけお寺の仕事を受け持ってみることは、両者の理解を促進しますよ。