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お坊さんの先生を引き受ける時の、身のすくむような怖さと覚悟

永平寺の坐蒲

去年は北海道から北陸、関東、中部、中国地方、そして九州までと、様々な地域のお寺でお坊さんやお寺の奥さんを前に、お寺活性化の講師をさせて頂く機会に恵まれました。

私自身、自分の行ってきた寺社活動の経験を中心に、様々にまとめたこと、分析したこと、考えたことなどを全力でお伝えし、それなりに成果ある内容になったのではと自負しています。また、実際に聴講頂いた方々からも、良いご感想を頂くことができました。

ただそれはそれとして、お坊さんやお寺の方々の前で講義を行うことは、実は私にとってかなり緊張を強いられる時間です。というよりも、本当にこんな風に教える立場に立って良いのかという自己疑問との戦いです。

昨年末、永平寺に行き、日夜厳しい生活を送るお坊さん達を目の当たりにしました。凛としたその姿と立ち居振る舞いの美しさには、積み重ねられた修行の日々を感じます。

また、先日は日蓮宗のお坊さんが冬の百日間、毎日朝3時から冷水を浴びる荒行を終え、中山法華経寺の道場を出たところでお会いしました。落ち窪んだ目とお経を唱え続けてガラガラになった声、15kgもやせたというその姿に圧倒されまくった一日でした。

私はお坊さんはありがたい存在だと考えていますが、そのひとつの根拠はこうした姿にあります。そしてまた、私には敵わない存在だとも考えています。

私がよく聞かれる質問のひとつに、お坊さんにならないのですかというものがあります。それには常にならないと答えていますが、その理由のひとつは、はっきり言ってお坊さん達の厳しい修行に私は身を投じることができないだろうからというものがあります。

私は二泊三日で雲水さんと一緒にお寺で生活する体験修行に参加したことがありますが、ひたすら坐禅と正座が続き、終わった時にはすでに足が限界でした。

また自殺や貧困に悩む人と対話し、家族を亡くされた方と向き合い、震災被害を受けた地域に何度も通うなど、苦しみと真正面からぶつかる多くのお坊さんを何人も知っています。これもきっと私にはできないことでしょう。

もちろんお坊さんはすべからく尊敬できる対象とは限りませんが、究極の生命の限界を見ているお坊さんは、やはりどこか圧倒される力があります。

そんな方々を前に講師をする。私はそんな相手から、少なくともこいつはすごいと、話を聞くに値する人間だと感じて頂かなければなりません。これはとても厳しく考えていかなければならない難題です。

少なくとも私は私の道を、旅人としての生き方を、他者を圧倒するほどに本気で歩んでいかなければならないと考えています。

お坊さんを前に講師をする私にとっての一番の収穫は、実は旅に対する覚悟の質が高まったことですね。そんな想いを胸に秘めながら、また来週お坊さん達の講師に出かけてきます。

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