お寺を風景にしないための、見た目に変化を起こす掲示板戦略
先日、仏教伝道協会で行われた『お寺の掲示板大賞』のキックオフイベントに出かけてきました。
こちらは去年行われたお寺にある掲示板の投稿コンテストの振り返りと、今年の開催に向けた決起集会です。
もうちょっと詳しい説明は、当日のスライドでご覧ください。
そして「お前も死ぬぞ 釈尊」と書かれた下の掲示板が、去年ものすごくバズっていました。いやー、今見ても胸に刺さります。
このインパクトが社会を駆け巡り、お寺の掲示板大賞はYahooのトップに取り上げられたり、経済やビジネスの専門メディア・ダイヤモンド・オンラインで連載が始まったり、タモリ倶楽部で特集が組まれたり。
さらには海を越えて台湾や中国でも話題になるなど、波及が続いています。
そんなわけで今年も第2回が企画されたようなので、ほーりーも覗きに行ってみましたよ。
お寺を風景にしないために、見た目に変化を起こす掲示板戦略
今回はゲストとして、広島県・超覚寺の和田隆恩住職と、福岡県・永明寺の松崎智海住職が来られていました。お二人は去年それぞれ賞を受賞し、それ以外でも精力的に掲示板を作られている達人です。
そして今回はこの二人の掲示板に対する考えが面白かったので、ほーりーがなるほどと感じたことを抜き出してまとめます。
まず和田住職の発表より。
この中で特に印象に残ったのは、「毎週日曜日に張り替える」という部分です。そして仰られていたのは、掲示板の言葉が見るたびに変わっていれば、このお寺は活動していることが伝わるという話でした。
見た目に変化のないお寺は、風景として認識されてしまうとのこと。
「お寺は風景でしかなかった」とは、オウム真理教の信者が残した有名な言葉ですが、お寺が動いている痕跡がちょっと見えるだけでも、前を歩く人と心が通ってくるようです。
続いて松崎住職の発表より。
掲示板はお寺のふちにあり、それは外の人との縁につながるとのこと。そしてふちにあるものは、見る人の足を1秒でも長く止められるようなエッジを利かせることが大切という話でした。
松崎住職はクリスマスツリーにしか見えない極楽の宝樹とか、かぼちゃが出てこないのが不思議な蜘蛛の糸モデルの掲示板など、キレキレの投稿でTwitterを賑わす名物住職でもあります。
下の画像も、ハロウィンじゃないよ。ホーリン(法輪)だよ。
ほーりーが考える、誤解を受け入れる大切さ
このお二方の話を聞いていて共通して思ったことは、それぞれ入り口で誤解されても構わないという覚悟のようなものでした。
掲示板はそもそも文字数に制限があるし、通行人はさっと見るだけなので接触時間も限られます。なので和田住職はどんどん変えることで一つの掲示板にかかる比重を減らし、力を抜いて出せると仰っていました。
松崎住職の場合は、ハロウィンだと思われたらそれはそれ。気づいた人だけ分かってよという開き直りも感じられます。
そしてこれはとっても重要なことだと、ほーりーは考えています。
先日、御朱印のマナー違反が多発するのは、悪いことではない という記事を書きました。
こちらでも、正しい形を一気に伝えて間違っている人を叩くのではなく、御朱印帳が一冊ずつ増えるごとにゆっくり寺社への理解が進む方策を取ってもらえたらありがたいと述べています。
掲示板もあれやこれやと解釈は相手にゆだねて、それでもまずは興味から入って頂く。そして数を重ねていくうちにだんだんお寺の価値観が伝わっていく方法は、とっても有効な気がします。
これもこの前紹介した、本光寺のように紹介パネルをたくさん増やすというのも一つの手ですが、掲示板のようにどんどん変えていくのも面白いですね。結局、情報の量を高めることは、大きなご縁につながるということでしょう。
せまいと思われた本光寺の境内が、参拝者に広いと喜ばれだした理由
ということで、、、
今回はお二人の住職による掲示板への考え方が語られた後、過去の投稿作品が大量に紹介されました。それぞれ面白かったり感じ入ったりしましたが、ほーりー的にはこれが心に響きました。
「善人ばかりの家庭は争いが絶えない」
これを貼ったお寺には、そんなはずあるかとクレームが来たという話も紹介されていましたが、とっても分かる気がします。
ということで、今年も掲示板大賞が行われるので、面白いお寺の掲示板を見つけたら、投稿してみて下さいね。応募方法は、以下のリンク先からご覧ください。