信頼のブレーキが壊れている池口龍法さんは、やはり天才だと思う
私がこの人は飛び抜けてすごい人だなと思う指標に、2の矢、3の矢が放てるというものがあります。
私自身もそうあろうと努力していて、宿坊研究会を作って以降、縁結び神社研究会、お守り研究会などのサイトを作ったり、寺社コンやお寺の漫画図書館、僧侶研修会の講師など、ひとつのモノ作りで足を止めない努力をしてきました。
なので池口龍法さんのフリスタ辞任劇は、個人的に今でも面白いなと思っています。
フリースタイルな僧侶たち。このブログを読んでいる方は知っている人も多いでしょうが、お坊さんが作るフリーペーパー(略称:フリスタ)です。今でこそお寺の外に出るお坊さんなんて珍しくないですが、創刊当初はお坊さんが秋葉原でフリーペーパーを配ったり、お寺と接点のない人と仏教を結ぶ先駆け的な活動として大きな話題になりました。
2013年には、日本フリーペーパー大賞で特別賞を受賞してますし。
ちなみに隔月発行でこれまで42号出ていますが、私が編集長を引き受けた14号はオンラインダウンロード数で歴代1位に輝いています。そろそろ抜かれてないかと見にいったけど、まだトップだった。
見たい方がいれば、下のリンク先から無料ダウンロードできますよ。こうやってフリスタ紹介する時にリンクを貼るのが、トップを保つ秘訣デス。
そう言えばこれ作った後、しばらく関西では「Tシャツの人」とか呼ばれたな~、私。
で、話が脱線しましたが、そんな飛ぶ鳥落とす勢いのフリースタイルな僧侶たちに、突如代表交代ニュースが流れたのが2015年。フリスタを立ち上げてこれまで引っ張ってきた池口さんから、若林唯人さんに代表が引き継がれました。このとき私の周辺の飲み会では、結構ざわざわしていたものです。
なので私も当時、池口さんにメールしたり、若林さんに会いに京都まで行ったり。結局、池口さんもお寺に入って住職になったし、若い人が仏教を表現する仕組みとして、フリスタをそのまま譲ろうということになったようでした。
それで私が個人的に池口さんすごいなと思っているのは、代表交代以降のフリスタに、池口さんはほぼノータッチということです。代表交代までは私も分かります。なのですが、私だったら自分がゼロから愛情込めて育てたものを、ほいっと誰かに渡しちゃうなんてできないだろうなと感じています。
たぶんこれは私だけの気持ちではなく、大半の人にとっても同じでしょう。あまりにあっさり池口さんが消えたことも、周りがざわざわした理由のひとつでしたし。
信頼のブレーキが壊れている池口龍法さんは、やはり天才だと思う
で、お手の住職とは別に池口さんが去年から新たに始めたのが、芸術系の大学生と一緒になって始めた『十夜フェス』です。こちらのコンセプトは、宗教と芸術の融合です。
その時の池口さんのツイートがこちら。
一年前に「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン四国版」を作ろうとしたとき、その編集責任を任せたのは初対面の僧侶だった。超怖かった。いま、秋にフェスをやろうと試みているけれど、一回しか会ったことのない芸術系の大学生にプロデューサーをやってくれと依頼した。超怖い。超ドキドキする。
— 池口龍法 (@senrenja) 2015年7月3日
フリスタの代表交代でも思っていて、この十夜フェス立ち上げ時にも実感したのですが、池口さんってある意味で信頼のブレーキが壊れているんですよね。私はこうした部分って、すごく浄土宗っぽいと思います。
目の前の人間信じられなくて、阿弥陀様を信じられるかよ!! って感じで(念のため補足すると、池口さんは浄土宗のお坊さんです)。お坊さんから見たら、また堀内が知らない仏教について語ったぞと言われちゃうかもしれませんが、人間不信なお坊さんから「阿弥陀様信じてください」と言われても、そりゃー無理だよと思うわけです。
池口龍法さんが天才だと思う、もうひとつの領域
そしてこの信頼のブレーキが壊れていることに関係しますが、池口さんは空白地帯をかぎ分けることがとてもうまいです。
フリースタイルな僧侶たちが生まれた2009年は、インターネットが各家庭に普及してしばらく経った頃でした。総務省によるインターネット普及率の推移によると、こんな感じです。
これを見ると2002年頃までで、急激に各家庭にインターネットが広まったことが分かります。私は2000年に宿坊研究会を立ち上げたので時代の空気を肌で感じてきましたが、2003~2004年頃からブログも普及し始め、フリースタイルな僧侶たちが創刊した2009年は「コストがかかる」「届く範囲が限られる」「一度作るとデザインが変更できない」紙媒体なんて、情報発信手段としてあり得ないくらいでした。
なので私もフリスタが生まれた時、「えー! わざわざ紙で?」と、思ったことを覚えています。
が、インターネットは何かしらお寺に興味を持つ人じゃないと、情報を届けることはできないんですよね。当時はSNSもニュースアプリも今ほどはなかったですし。しかしお寺を出て街中で紙を配れば、見てくれる人がいる。お寺がリーチできない人間に紙が有効だからこそ、コストをかけてでもフリーペーパという道を選んだのでしょう。
この時の池口さんは仏ではなく、カミを信じたわけです(笑うところです)。
そして、十夜フェス。私はいろんなお寺巡りをする中で、今は世代ごとの空白が大きいと感じています。具体的には「中学生~大学生」が空白スポットです。なのでこれらの世代に情報を届けることってできないかと、私も結構昔から考えていたんですよ。しかし、あまり良い手は思いつきませんでした(今、内部で検討しているプロジェクトは一つありますが)。
そんな時に颯爽と生まれたのが、芸術系の大学生とお坊さんが手を組んだ十夜フェスです。私も去年会場に足を運んだり、先日行われたミーティングにも参加させて頂きましたが、自分たちのアートを作りたい20代前半の学生さんたちとお十夜という浄土宗の法要を伝えたいお坊さんが、同じ目標に向かって走っていました。
これまた去年の池口さんのつぶやきですが、
十回ぐらい会ってから、その人を信頼するかどうか見定めるのが普通かもしれない。でもそんなの時間の無駄だと思う。十回会っても本当に信頼できるかどうかはタッグを組んでやってみないとわからない。どうせなら一回で判断したほうがいい。フェスが失敗したら笑ってくれ。
— 池口龍法 (@senrenja) 2015年7月3日
空白地帯に飛び込むためには、「新しい切り口を見つける問題意識」と「アウェイで戦う胆力」が必要です。今の時代に街中でお坊さんと話す会なんて、チャレンジでも何でもなくなっています。フリスタ創刊時と同様、ここにきて空白地帯だった大学生にこの速度で飛び込んでいけるのは、もはや脱帽としか言いようがありません。
ということで、アイラブ池口さんについて思うことを、まとめてみました。
(あと、十夜フェスのミーティングは、実はスタッフの集まりじゃなく普通のイベントだと思って足を運んだので、迷い込んだという方が実は正確です。そしてずうずうしく混ざってきたので、宣伝のお手伝いも兼ねておきます。今年も11月に行われるらしいですよ)