全日本仏教会の機関誌『全仏』編集スタイルに、変革の意志を感じる
日本の様々な宗派や仏教団体が加盟する全日本仏教会。こちらは『全仏』という機関誌を発行されています。
全ての仏。すごい名前です。いや、全日本仏教会の略称でしょうが。そしーて、こちらでほーりーの連載が始まったので紹介します。
『全仏』で、ほーりーのコラム連載開始!
今回のコラムは数回の連載になる予定ですが、タイトルは「檀家数減少時代を考える」というものです。
全仏はすでにNo.637という長期に渡って発行され続けている機関誌ですが、これまでは全日本仏教会の活動報告がメインだったため、今回からリニューアルして読み物を入れていきたいとのこと。
そして手に取る方はお坊さんやお寺関係者が中心ですし、現在のお寺社会の大きな関心ごとの一つとして、寺院消滅があります。
そこでこの問題について、あれこれ発信しているほーりーに、白羽の矢が立ったようでした。
うむうむ。正直に言ってしまうと全日本仏教会のようなフォーマルな組織から、アウトローな私に声がかかるとはびっくりしましたが。
だって、先日。新年会に来てくださいと(すっごく、気軽に)誘われて行ってみたら、政治家の先生とか各宗派のトップの方とか、そんな方がずらりとそろう想像外の場でしたし。
編集担当のお坊さんと飲みながら、紙面の方向性について語ろうとか思っていたら、そのお坊さんは飲むどころじゃなくカメラを持って記録係として会場を走り回っていました。
うぶなほーりーには、まだまだ知らない世界が多いと痛感させられましたよ。こんな場所に、果たしてほーりーは溶け込んでいけるのだろうか、と。
まあ、出席者に知り合いが何人かいたので、「お久しぶりでーす」と乱入しながら無理やり混ざってきたのですが。
しかし『全仏』に話を戻すと最初に打ち合わせをさせて頂いた時、担当されているお坊さんは「全仏をもっとメッセージ性のある媒体に変革して、多くの方に読んで頂けるようにしたい」と、強く意気込んでおられました。
その意味では、ほーりーのような刺激物はひとつのアクセントになって良いのかもしれません。
『全仏』編集スタイルに、変革の意志を感じる
そして幾度かの打ち合わせを経てコラムを書いて、完成しましたと送って頂いたものがこちらです。
こちらを手に取り、ほーりーは「おおっ!」と、奇声を上げてしまいました。その理由を、ズームアップすると
ええとですね。気持ち的に一番こっそり書いておいた部分が、青い太字で強調されています。この部分、最初にファイルを送った時は、むしろ書き直しの要求も想定しつつ出したものだったのですが。
無事に原稿が受け入れられたのみならず、まさか一番目立つ形になっていたとは思ってもいませんでした。
ちなみにほーりーの文章術としてですが、おとなしい記事を書いた時には、一つだけ変化を加えることにしています。
野球で例えると、全体的にはまっすぐ丁寧なストレートを心掛けながら、一球だけ荒れ球を入れる感じです。これが別で連載している『月刊住職』などだと、もう少し荒れ球率が高くなるわけですが(と、言うより、あちらは媒体的にほーりーの球など荒れ球のうちに入らないかもしれませんが)。
しかしその、こっそり加えた荒れ球が、青い太字で強調されていたために、なんか顔面すれすれの剛速球? という感じになっていたわけです。
でも『全仏』を読まれる方は、ほーりーのことを知っている人ばかりではありません。宗派のトップ層の方も手に取られるのなら、「なんか、生意気なことを書いているやつがいる」と、思われてしまうのではと、ほーりーはハラハラです(第一回目ですし、なおさら)。
特に全体を読めばそこそこ丁寧なのですが、ハイライトされた部分だけ目に入ったりしたら。
まあ、しかし。それを避けて太鼓持ち的な文章にすることは、依頼されたお坊さん達も望んでいないようでしたし、書き手としてはどこまで踏み込んでよいかを測ってみたのがこの2行だったりもします。
(否定的な指摘を書くのはまずいですよと言われた場合には、思いっきり無難に書く用意もありましたし)
なので想定を超えて、この部分が強く強調されていたことには、編集側の意志を強く感じたわけでした。
些細なことと言えばとても些細なことですし、気にも留めない方のほうがきっと多いでしょうが、変革というものはこうした小さな部分から生み出されていくのですよ。
ということで、、、
実際に原稿を書いて、本を出したりメディアに寄稿される方はよく分かると思うのですが、文章が持つメッセージって書いた人だけで成り立つわけじゃないんですよね。
例えばタイトルが顕著ですが、表看板となるものだけに、いろんな思惑が反映されます。今回の「檀家数減少時代を考える」も編集者のお坊さんと相談しながら、細かく調整して決めています。
具体的には全仏の媒体性を考慮してある程度マイルドにしながらも、全く当たり障りのない表現はやめるというバランスの中で作られています。
他にも段の組み方とか、写真のキャプション(説明文)、さらには雑誌全体の内容やページ構成などでも伝わり方の強弱や方向性は変わりますが、この辺は執筆者はノータッチであることが多いです。
さらに言えばインターネット全盛時代、紙面以外での見せ方も編集者は考慮しているでしょう。ほーりーのSNSはお坊さんが多く見ているため、全仏にコラムを書いたよと発信すれば「あれ、いつもと毛色違うぞ」と、思われるきっかけにもなるでしょうし。
このブログ記事も、そうした編集されたお坊さんの想いを知って頂けたらと書いている部分もあります。
なのであと数回続くほーりーの連載も、それが終わった後も、全仏はこれからきっといろんな挑戦をされていくと思いますよ。
長く続いている&事務的にお寺に届いているもののため、中身を開かずスルーされる方も多いと予想されるので、今回からいつもと違いますよと、ちょっとお伝えしておきます。