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全日本仏教会は、お坊さんによるお布施メディアを作るといいよ

株式会社みんれび

昨年末から開始されたAmazonのお坊さん派遣。葬儀会社「みんれび」がAmazonのシステムを利用し、法事などでお坊さんを定額手配できるサービスを開始したものですが、これに対し全日本仏教会が中止を求める文書を送付しました。

抜粋すると

私どもは「お布施」を定額表示することに一貫して反対してきました。それは、「お布施」は僧侶の宗教行為に対する対価ではないからであり、定額にすることによって「お布施」本来の宗教性を損なうからであります。同じように「戒名」「法名」も商品ではないのです。

これに対するお坊さん社会以外の反応は、概ね冷ややかです。上記の文書にも大きな批判は巻き起こっていますし、問題となっている『お坊さん便』
のカスタマーレビュー数(2016年3月9日時点)を見ると

Amazonの評価

となっています。

見事に☆1つと5つに分かれていますね。コメントを元に類推すると、☆5つの高評価を付けているのは、ほとんどお寺の外にいる人です。従来のお布施の不透明さ、金額の高さ、そして葬儀の納得感のなさにあふれています。そんな方にとって、こうしたサービスはようやくこれまでの不合理を解消するものと映っているのでしょう。

一方、☆1つの評価を付けている方は、宗教をビジネス化していることに嫌悪感を抱いているようなコメントが多いです。

まあ、☆5つ付けている人の方が多いですし、世間では「よくやってくれた」という評価が優勢です。大まかにコメントをまとめると

「今までのように甘い汁を吸えなくなるからね」

「宗教をビジネス化していたのは、むしろお坊さんの方でしょう」

「定額表示すると課税対象に成りかねないから、必死に反対しているだけでは」

というのが、共通した意見のようです。少なくとも残念ながら、全日本仏教会が主張するお布施の宗教性は、共感を得ているとは言えません。

定額より前段階で、お布施の宗教性を損なわせているもの

私は細かな部分で異論あるものの、基本的にはお坊さん派遣サービスに賛成です。お寺やお坊さんは大好きですが、どう贔屓目に見てもお葬式や法要のお布施は欺瞞が漂い過ぎています。

私が顧問を務めている霊園会社アンカレッジのお寺の樹木葬は、宗派不問でお墓購入者を募るものの、7割の方がお墓を設置したお寺で法要を希望されています。

これはお参りしやすいお墓を徹底的に考え抜いて設計していること、料金が高めでもお寺としっかりつながりたいという価値観を共有できる人を募集していることなどが要因です。

こうした自分で選び、納得してお寺で法要をお願いする人であれば、従来のお布施の方が良いことは言うまでもありません。

ですが、Amazonのお坊さん派遣であぶりだされているのは、お寺と関係を結びたくない人や、そこまで行かなくても従来の慣習だからと自分が心から納得していないのにお布施を払わされていた人です。

現在の日本には信教の自由が認められており、お寺と関係を結びたくないなんてけしからんというのは成り立ちません。

そしてお布施の意義を問題にするのなら、私はお布施は「払わされた」とちょっとでも思った段階で、すでに宗教行為として成り立っていないと考えます。Amazonでお布施が「定額」で示されているとか、業者の中間マージンが見えていないなんて問題は、「払わされた」という気持ちに比べれば些末です。

これは「定額」や「中間マージン」が無問題ということではなく、「払わされた」という気持ちが宗教性を害する問題の方が圧倒的に大きいということです。こうしたことを書くと、「いや、私のところではしっかりやっている」とか「お金のない人にはほぼ無償で葬儀しているお坊さんもいる」なんて話し始める人はいますが、個々のお坊さんやお寺レベルでしっかりやっている程度ではすでに解決できないから今の世間感情があるわけです。

お布施はもらう側が語っても、なにも心に響かない

私がお坊さん達の話を聴いてもっとも気になっているのは、「お布施ってもらう側が語っても、何も心に響かない」ということです。

いや、「お布施は僧侶がお金を頂くことで、みなさんに修業させてあげているのです(キリッ)」と言うのかもしれませんが、私だったらお布施の修業は、私以上にお金を手放すことを実践している人の元でしかしたくないです。

たとえば、中下大樹さんとかですね。自分が働いて得たお金や本の印税などを、必要最低限を除いてみんな貧困層支援のために寄付しちゃってるとか、尋常じゃない生き方です(最近は体調崩されて休養されてますが)。

少なくとも自分はお金をたいして手放していないのに、お布施は喜捨の心を育てるとか言われても、いや、だったらあなたが育てなよとしか思いません。私はお布施問題の根本にあるものは、お坊さんがお布施をまったく実践しているように見えないところにあると思っています。

(もちろん、その他にも不況で収入が下がっているなども強い要因だと考えていますが、これはお寺社会がアプローチできる問題ではないので、ここでは割愛です)。

お布施の宗教性を守りたいなら、お布施は根本から概念を変えないといけないところにきている

それでは全日本仏教会の言うお布施の宗教性を守りたいなら、何をしたらよいのか。私はお布施=お金」という世間の定義を壊さないと、今の形の延長で続けても無理ではないかと考えています(実際、本来のお布施ってお金だけを指すわけではないはずですし)。

今の仏教社会が説くお布施の心って、貧乏な人が解説したお金持ちになる方法みたいなものです。お金をもらっている側が喜捨の心を説いても、「お前が言うな」感が漂います。

ですが、私はこれについて、お坊さんが何もしていないとも思っていません。

私の知り合いだけでも、今も定期的に震災被災地の支援活動をされている方がいます。ホームレス支援の炊き出しを行っている方、貧困家庭に食料を送っている方、自死遺族の心のケアを行っている方、海外で戦没者の遺骨収拾をしている方、行政と組んで災害時の避難所としてお寺を整備されている方、介護施設や学校などを回って法話をしている方、発展途上国に学校を作った方、、、など、数えたらきりがありません。

ただ、こうしたお坊さん達って、一般にはほとんど知られていません。なので全日本仏教会はAmazonと無駄に戦って世間のお布施感情を悪化させるくらいなら、こうしたお坊さんのお布施活動(と名付けて)を丁寧に取材し、メディア化してみてはいかがでしょうか。

予算がないなら、それこそお坊さん達のお布施で。

この分野の最先端だと、やはりインターネット寺院・彼岸寺ですかね。様々なお寺の社会活動を分かりやすく取り上げる点では、トップランナーだと思います。最近は伝えるだけでなくお寺のお供え物などを経済的に困難な家庭におすそ分けする『おてらおやつくらぶ』なんて活動もしてますし。

また、全日本仏教会だって東日本大震災などの救援活動も行っていますし、見せ方を大きく変えたり、楽しさや遊び心を付け加えたり、最先端の研究に結びつけたりといった従来の枠組みを超えた領域から「伝える」ことに力点を置けば、そしてそれを「お布施」という言葉でまとめればお布施に対する世間のイメージも長い目で見て変えていくことができます。

『Amazonにお坊さん達がお布施の定額化なんてけしからんと文書通告』って、実は世間的にものすごくキャッチーです。Yahooのニュースにも何度も取り上げられましたし、悪い意味でめちゃくちゃバズってました。

これをプラス側でバズらせることにチャレンジし続ければ、「お坊さん達も頑張っているし、お葬式のお布施が社会にも役立つなら」と思う人は(急激ではないにしろ)きっと増えます。

お布施の心を伝えたいなら、今あるお布施とは離れた土俵で勝負する。現在のお布施がもらう側が語る構造である以上、そこから抜け出さないと理解は広まらないでしょう。

実際、Amazonのレビューコメントとか読んでいると、お坊さんがいろいろ頑張っている姿が世間にもう少し露出するだけでも、表現がもうちょっとマイルドになるのになと悔しくなりますしね。

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