真宗王国と呼ばれる北陸でも、お寺離れの危機意識は強まっている
先日、真宗大谷派金沢別院で行われた『これからのお寺を考えるセミナー』にて、講演させて頂きました。
タイトルは『お寺は外からこう見える ~浄土真宗編~』です。ほーりーは(教えの内容ではなく、コミュニティの性質的に)浄土真宗は他の宗派と異なるところが多いと考えているので、真宗に特化したコミュニティ形成手法をまとめています。
そしてこのタイトルは過去にもあちこちで講演していますが、今回もリクエストを受けながらカスタマイズしたものをお話しさせて頂きました。
真宗王国と呼ばれる北陸でも、お寺離れの危機意識は強まっている
石川県は昔から浄土真宗の信仰が盛んな地域です。しかし配布された講演パンフレットにはそんな地域ですら、危機意識にあふれていることが書かれています。
「真宗王国と呼ばれるこの北陸の地においても、お念仏のみ教えを次世代に相続していくことが、とても難しい時代社会である」とのこと。
そしてこれまでお寺を中心とした集まりが強固であったがために、外から人が入りづらい構造が他よりも出来上がっていたようです。それを表したのが、以下の図です。
この図ではマラソンと浄土真宗のコミュニティ構成を、比較してまとめたものです。オリンピックで金メダルを目指したり、フルマラソンで3時間を切ること(サブスリー)を目指す方は少数です。一方でランニングサークルに所属して走った後のビールを楽しみにしていたり、お腹周りが気になってきたと近所をジョギングするくらいの方なら世の中には大勢います。
この時に重要なことは、トップアスリートと趣味で走るランナーとでは正しい走り方が異なることです。そしてどちらもマラソン競技には大切な存在です。もしも速く走れないならウェアやシューズを買ってはいけないと言われれば、アスリートが育つ環境も崩壊してしまいます。
ただ、そうした頂点の理論が先行しすぎているのが、今の浄土真宗と感じます。セミナーを企画されたお坊さんたちと事前にオンラインミーティングした時も同じご意見は出ていましたし、真宗王国と呼ばれる地域だけにそれは強かったかもしれません。
なのでまずはこのふもとに焦点を当てる意義について、述べさせて頂きました。
真宗王国と呼ばれる北陸でも、お寺離れの危機意識は強まっている
一方でお寺に初心者が入りやすいようにすると、宗教性が薄れるのではと心配される方がいます。これ自体は正しくもあり、間違いでもある意見です。要するに設計次第ということではありますが、ほーりーはふもとを開拓すれば宗教性は高まるとも考えています。
これは以前、京都の東本願寺で講演させて頂いた時にレポートをまとめたので、よろしければご覧ください。
お寺を開くことは本質を磨く力になる。東本願寺でお寺活性講演をさせて頂きました。
ついでにこちらはその理論を、もう少し詳しくまとめた話です。
そしてこの初心者の入り口と宗教性を結びつける手段として、『小さな階段』をたくさん作ることを提唱しています。
この『小さな階段』は京都・西本願寺での講演レポートにて、内容を紹介しました。
西本願寺の仏教プレゼン大会。足震わせながら、お坊さん達をあおってきました
簡単にまとめると、以下の2点が要旨です。
○入口は外にいる人の興味に沿ったものを作り、そこから伝えたい教えに階段を登るようにつなげていく
○階段を登らず入口で満足する人を否定しない
これらができれば、今後の人口流動社会においても、お寺に足を運ぶ方は増えていくでしょう。
ということで、、、
もともと親鸞聖人がいた時代は、親が亡くなったからお寺を建てようなどという権力者しか、仏教に近づくことはできませんでした。そこに「南無阿弥陀仏」だけでいいんだよという教えが出てきて、信仰は爆発的に広まります。
なので浄土真宗はこの頂点まで登らない(登れない)人へのアプローチが、もともと得意な宗派だったとほーりーは考えています。
この日は講演が終わった後に、参加された方同士でいくつかのグループに分かれ、座談会が行われました。こちらではそれぞれの方から現在、お寺で行われていることや抱えている問題意識、これからやってみたいことなど、活発な意見が出ていました。
今回の講演ではそこまで話せませんでしたが、企画されたお坊さんや座談会でお話しした方々からも、お寺の収入アップと布教を両輪で進める方法についても質問が飛び交いましたし。
ことあるごとに座談会が開かれる。みんなで集まって意見を述べあう機会が多いのも、浄土真宗の大きな強みですね。今回の講演がまた、一歩踏み出すきっかけになったなら、嬉しく思います。