曹洞宗S-laboで一番読まれた記事は「僧侶、ゲイバーへ行く」
先月ですが、東京・浜松町で行われた曹洞宗総合研究センターの学術大会を聴講してきました。こちらはお坊さん達がそれぞれの研究内容を発表する会で、二日に渡り54件ものプログラムが組まれた一大行事です。
お坊さん達の話がいろいろ聞けるぞ! と意気込み、事前に電話で問い合わせたら誰でも参加自由ということだったので、足を運んできました。
ミーハーなほーりーは南直哉さんの登壇にときめいたりしてましたが、それはそれとして。お聞きしてきた中に興味深い話もいろいろあったので、まとめておきます。
曹洞宗のオウンドメディアS-laboとは何か
ほーりーが聞いて何より面白かったのは、曹洞宗の教化研修部門によって作られた『S-labo』の話です。
この教化研修部門は布教方法を調査・研究するお坊さん達の組織です。なのでこの『S-labo』も「お寺に関わりの薄い人」に仏教を伝えるために作られたもので、その特徴は以下のスライドで説明されていました。
『曹洞禅ネット』のような公式サイトになると、どうしても組織としてコミットされた見解以外に載せられない。それ自体は大切ですが、それが足回りを遅くしてしまうこともあり、もっとフットワークの軽い情報提供の場も必要となってくる。
このような課題から「個人の見解」と断ったうえで、禅や仏教全体に親しむメディアとして機能させられないかと生まれたのが、『S-labo』とのことでした。
こちらの研修生の方々は毎年『東京禅僧茶房』というイベントを開かれていて、そこで発行されるフリーペーパーに寄稿させて頂いたことがあるなど、ほーりーも過去にずいぶんお世話になっています。
そんなわけでS-laboも名前は耳にしたり中を覗いたことはあったのですが、改めて全体像を知ったのは初めてでした。なので、なるほどな~と聞いていましたよ。
S-laboで一番読まれた記事は「僧侶、ゲイバーへ行く」
そして、このS-laboで一番多くの方に読まれた記事は、「僧侶、ゲイバーへ行く」というものだったそうです。
こちらは本多清寛さんというお坊さんが書かれた記事。本多さんは同性の仏前結婚式についても研究されるなど、セクシュアルマイノリティに対して、様々な活動をされている方です。
ちなみに、今回の発表者でもあります。
それで私も家に帰ってこの記事を読んでみましたが、これが面白い話でした。
内容はそんなに肩に力の入った話ではなく、お坊さんがゲイバーに行ってママと話したことや感じたことの雑記です。
○同性の仏前結婚式ができないかと考えたことから、ゲイバーに行ってみた
○ゲイには愛のある蔑みの文化がある(と、感じた)
○ママの気遣いがハイレベル
○家を続ける大切さを説き続けたお坊さんが、(子供のできない)ゲイと話して考えた事
などが、記されていました。
特にお寺が大切にしている「家を守る」価値観を真っ向から否定したような、「私が末代だから」と言ったママの言葉。この記事では「深く考えさせられました」と述べるに留まったことが物足りない気もしましたが、それでもはっとさせられる話です。
ほーりーも先日、とある僧侶研修会(が、終わった後のフリータイム)で「LGBTの方の戒名のあり方」なんてテーマでお坊さんと話をしていましたが、新たな時代に合わせたお坊さんの戸惑いや手探りはきっと社会でも共感を得ていくでしょう。
ロボット導師についても語られていたよ
他に発表された記事の例としては、エンディング産業展に出展されたロボット導師についてもありました。
○ロボット導師には資格がないので、曹洞宗の僧侶としては葬儀は行えない
○しかし資格の有無は曹洞宗の理屈であり、「弔い」の心とは別である
○技術者が葬儀を守りたいという心があればロボット導師は増え、欲望が先立つようなら減っていくだろう
という感じです。
ちなみにS-labo記事中には、ほーりーがこのロボット導師に言及したブログのリンクも貼られていました(会場でいきなり名前を呼ばれたときは、ドキッとしました)。
私の記事ではロボット導師は安価で手軽なものとしてだけ求められるのではなく、技術が発展すればお坊さんより心ある存在として求められる場面も出てくると予測しています。
AIはいずれ心や感情を持つとかそんなSFめいた話ではなく、心ないロボットのままで求められるかもという話です。
その一例として、介護ロボットが普及したら「10年間お世話してくれた無機質なロボット」と、「供養について真剣に考えている人間のお坊さん(ただし寝たきりになってから、顔を合わせたことはない)」とで、どちらがお金に関係なく選ばれるかという問いかけもしてみました。
まあ、そのあとにお寺もこうした技術の行方を探るため、ロボット導師を受け入れてみてはと結んでいて、この部分はちょっと行き過ぎたかなと撤回してますが。
ただ、S-laboでもこうした介護ロボットの将来に触発されて書かれたようで、「自分が感謝しているロボットに弔われたいと思うことはあり得る」と、述べられていました。
お坊さんの率直な考えが書かれていて、私も嬉しく思います。
ということで、、、
「僧侶、ゲイバーへ行く」という記事に話を戻すと、こちらに注目が集まった背景は「僧侶」と「ゲイバー」という意表を突いた組み合わせによるものです。
SNS全盛の昨今、ネット上でバズることは記事の閲覧者を増やすためにも重要な要素です。
ほーりーもそうした面を意識してタイトルをつけることがありますし、私がブログの書き方を教えたとあるお寺の方はいきなりページビューが21倍になって驚いた(もともとが少なかったためでもありますが)とご連絡頂いたこともあります。題材やそれを現すタイトルは、発信力にそのくらい影響するものです。
そしてもちろん、単に意表を突けばいいなんてことは全くありません。そこからどう仏教や禅につなげていくかという展開はさらに大切です。
今回で言えば「私が末代だから」と言ったママの言葉は、現代に生きるお坊さんが直面した率直な課題として、お寺とは接点のない人にも共感を覚える話でしょう。そしてそれにどう応えていくか、それは経典の言葉を100も200も解説するより、はるかにリアルな仏教として人に響きます。
またロボット導師の話題にしても、今はまだ技術が稚拙な黎明期なので笑っていられますが、今後10年、30年経ったときに環境は全く変わっていることが予想されます。足回りの速さを売りにするS-laboのようなサイトが今のうちから言及を始めておくことは、将来的に大きな意義があるはずです。
さらにこうしたS-laboの注目度が増してくると、それに対して「お前、何言ってんだ」という身内の声もきっと出てくると思われます。そんな時に周りが勇気をもってS-labo執筆陣を守れるかが、次のステージに辿り着けるかの分かれ目です。
お寺に興味のない人も思わず振り向く入り口から、どこまで仏教へとつなげていけるか。S-laboを運営されるお坊さん達にはこれからも頑張ってほしいところです。