御朱印のマナーと人間性のマナーとは、今一度分けるべき
元号が変わった記念特需的な所もありますが、このところ御朱印のマナー違反を指摘するニュースが山ほど出ています。
令和初日の御朱印がメルカリで高額転売 大行列の明治神宮は「非常に残念」
浅草神社が「三社祭」の特別御朱印を頒布中止に。「暴言・恫喝また暴力に近い行為」などのマナー違反を指摘
神社の方を恫喝したとか、ネットオークションに販売したとか、個別事例は非難されても仕方ありません。
また、参拝者の多い寺社などで混乱や危険が予測されるため、頒布の中止や延期がなされることも理解できます。
ただほーりー的には目立つ事例だけを読んで自然発火し、御朱印を楽しむ人を十把一絡げに上から目線で叩く人は、注意を要すると思っています。
上記の記事のコメント欄でも、お参りの心を持ってないとか、御朱印自体をやめるべきとか、果ては日本がダメになったとか、そんな言葉も散見されますし。
御朱印のマナーと人間性のマナーとは、今一度分けるべき
御朱印を集める。この言葉自体を毛嫌いする人もいます。御朱印は参拝の証であり、スタンプラリーではない。これ自体はぐうの音も出ないほど正論です(まあ、それでも御朱印は昔から、「御集印」と表記されることもありましたが)。
ただしほーりーは絶対的な正しさを盾にして、マナーやルールを知らない初心者を叩く風潮が嫌いです。
目的の御朱印が得られなかったことに腹を立て、思わず寺社の人に当たってしまった。これは人間性の問題です。例えば飲食店で店員に理不尽な文句をつけるとか、電車が遅延して駅員さんに怒鳴り散らすことと変わりません。
一方でご本尊にお参りせずに朱印だけもらいにきたとか、一冊の御朱印帳にお寺と神社が混在していたなどは、寺社への理解が浅いゆえの行動です。
この二つを混同することは危険です。そしてお坊さんや神主さんにとっては残念な話かもしれませんが、寺社の常識は世間一般の人が共通土台として持っている知識ではありません。
先日、京都の銭湯がTwitterで以下の写真を投稿し、話題になっていました。
届け!!!
銭湯経営者全員の願い( ;∀;) pic.twitter.com/hCZlUf0vK7— 京都 玉の湯 (@kyoto_tamanoyu) 2019年5月10日
こちらはほーりーもこのブログやお坊さんの研修会などで同じ話をしていますが、いろんな世界で起こりうる話ですね。
上の記事から抜き出しますが、次のような考えは大切でしょう。
お坊さんと話をしていてよく感じることは、この全体と例外のモラルを一緒に考えてしまう方が多いことです。
お寺を開けばこれまでお坊さんが接してきた檀家さんや信徒さんとは異なり、お寺の慣習やマナーに対する理解の浅い人(外国人も含む)が来るようになります。
するとトラブルや衝突、そこまでいかなくてもイラッとすることは増えるはずです。しかしこれらを悪意として捉えないことが、私はこれからお寺を開いていく上で大切な要素と考えています。
日常的にお寺やお坊さんと接する機会のない方は、ドキドキオロオロしながらお寺に足を踏み入れます。私自身、初めて宿坊に泊まった時はものすごく緊張しました。
なので何か問題が発生した時、9割以上は単なる理解不足です。ご本尊に油をかけるような例外には迅速な対応が必要ですが、全体にモラル違反と感じることは、単純に初心者がつまづきやすい点が見つかっただけと認識すれば済む話です。
令和も2週間ほどが経ち、御朱印狂騒曲的な現象もひと段落したようです。残念なできごともあったようですが、ほーりーが見る限りほとんどの方は整然と列に並んでましたし、腱鞘炎になりそうなお坊さんや神主さんを気遣う方もいました。
そしてバブルはいろんな問題が発生しても、お寺や神社に大きなものを残してくれるというのが、ほーりーの持論です。
なので暴言を吐かれた当事者など、実際に怖い目や危ない目に遭った方は別としても、外野で表面的なニュースだけ見て御朱印自体を悪者のように扱う人は、もう少し落ち着いて周りを見た方が良いですよ。
ということで、、、
ちなみにほーりーが新元号になって初めて頂いた御朱印は、寺社フェス向源でのものでした。作ったお坊さんから是非是非宣伝してくれと言われてあちこちで紹介しましたが、私が実際に頂いたものは「令和」の文字が外にはみ出て切れていました。
むむ。これでは「昭和」か「令和」か分からないと思いつつ、それも一つの想い出かなと楽しむほーりーです。