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曹洞宗の法話が形式的になりがちな3つの理由

法話で大切な7つの要素

先日、曹洞宗青森県布教師会の研修会で講演をさせて頂きました。タイトルは『法話で大切な7つの要素』です。

ほーりーは僧侶ではないため、法話は行ったことがありません。ただ宗派問わずあちこちでお坊さんの話を聞くことは多いため、こんな法話を聞きたいというリクエストとして、お話しさせて頂いています。

今回は「布教師会」ということで、あちこちのお寺で法話をされるお坊さん達の集まりです。そんなわけでほーりーも雪がちらつく北の大地に降り立って、全力で語らせて頂きましたよ。

法話で大切な7つの要素の原点

この『法話で大切な7つの要素』は、名前の通りほーりーが法話で聞きたい要素を7つ並べて構成したものです。

法話の疑問

そのスタート地点は「そもそもお坊さんは、伝えたいことがあって話しているのか」という疑問でした。詳細は以前に東京・護国寺で真言宗のお坊さん方を前に話した時のレポートを書いているので、以下をご覧ください。

法話を学ぶお坊さん達に話した、枕とオチをひっくり返す手法

スタンダードで一流の法話は、これから活躍の場を失っていく

簡単にまとめると

○原体験を持たないお坊さんが語る法話は、メッセージを経典に丸投げしがち
○ほーりーが聞きたいのは、教えを元にお坊さんがどんな苦しみに立ち向かっているのか
○伝えたいことがないお坊さんは、人生の難易度を上げる必要がある

というものです。

そしてそのために、法話の導入と締めをひっくり返して語ることをお勧めしています。

曹洞宗の法話が形式的になりがちな3つの理由

曹洞宗青森県布教師会の研修会

そして今回は曹洞宗の研修会なので、他宗派と比べて曹洞宗の法話が形式的になりがちな点についても紹介しました。その理由は大きく分けて、3つあります。

坐禅のネームバリューが強すぎる

ほーりーは、曹洞宗の研修会で講師をさせて頂いたのはこれが初めてです。一番多いのは日蓮宗と浄土真宗ですが、この二宗派と曹洞宗を比べると坐禅のすごさが見えてきます。

日蓮宗の『唱題行』や浄土真宗の『お聴聞』などは、解説しなければお寺の外にいる人にはなかなか伝わらないワードです。一方で坐禅は単語一つで憧れを喚起する、エグゼクティブな言葉になっています。

なのでほーりーがあんまり曹洞宗からお呼ばれすることがないのは、お寺と接点がない人とのご縁つなぎが曹洞宗ではすでにできているからというのもあるでしょう。

ただ華美や派手な仕掛けを嫌う禅宗の気風もありますが、坐禅が巨大な名刺代わりになっているため、曹洞宗のお坊さんは新たなことに挑戦する方が他宗派よりも少ないようには感じています。そしてそれが法話の画一性にも表れています。

便利な禅語が多い

「脚下照顧」とか「日々是好日」など、禅語には思わずハッとさせられる言葉がたくさんあります。

もちろんこれらにふれることは、とても有意義です。ですが先に挙げた「坐禅」とも共通しますが、便利なテンプレートが多数用意されていることは、楽な反面で法話から工夫を奪います。

何より悩ましいのは、テンプレートに頼りすぎると言葉から責任の所在が見えなくなることです。「お釈迦さまや道元禅師はこのように説かれた」「経典や禅語にはこんな言葉がある」というだけで終わる法話は、メッセージを先人に丸投げしてしまうようにも(ほーりーには)見えてしまいます。

法話には原体験が足りない

目の前にいるお坊さんが、教えを支えにどのような人生を歩んでいるのか。困難や掲げた目標にどう突き進んでいるのか。それが見えないのであれば、わざわざ法話として聞かなくても本を読んだり「禅語一覧」とでも検索すれば事足りてしまいます。

語り過ぎることを良しとしない気風がある

これは私が感じていたというよりも、研修会後に参加されたお坊さんに言われたことですが、曹洞宗は語り過ぎることを良しとしない風潮があるそうです。

それを一言で表すと、しゃべりすぎるのは「あでね」とのことでした。これは「頼りにならない」とか「残念」「格落ち」といったことを意味する津軽弁です。

(会話の中でぽろっと出たのを後でネット検索したので、もしかしたら違う言葉だったかもしれませんが、ニュアンスとしてはそんな感じでした)。

研修では臨済宗の坐禅会との違いを教えてほしいという質問もありました。ほーりー的に感じているのは、対面坐禅で公案を重視する臨済宗は、坐禅会の後に講義や茶話会などでお坊さんや周りの人と話をする機会が多いことです。

曹洞宗の坐禅会は良く言えばシンプルですし、悪く言えば素っ気ないです(もちろんお寺や住職さんの性格によっても大きく変わりますが)。

語る場面が少ないと、法話が深堀されにくくなるのは仕方ないと言えるでしょう。

ということで、、、

おおま宿坊普賢院の坐蒲

上に挙げた3つの理由の最後、「語り過ぎることを良しとしない」を聞いた時に、神社とすごく似ているなと感じました。

以前、神主さんの研修会で講演した時、「言挙げせず(自分の意見を述べることを控える神道的な姿勢)」という言葉との整合性には頭を悩ませました。

発信力を掲げた神職研修会で、言挙げせずに七転八倒したほーりーの話

神主さん達の間でも、以前は「神社がウェブサイトを持つなんて言語道断」という意見がありました。一方で各宗派の本山を見比べた時、永平寺にはずっとウェブサイトが作られなかったのも印象的です(ちなみに今はあります)。

もちろん曹洞宗には曹洞宗の良さがあります。上で述べた3つの理由も、曹洞宗の良さをあえて裏返して見た時に「法話」というカテゴリーでは短所になりやすいという話です。

坐禅という世界レベルの求心力に、今度は法話でも多くの人と接点が生み出せたら鬼に金棒となるでしょう。そんなことを、ほーりーの初曹洞宗研修会では語らせて頂きました。

ちなみにこれで真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗、そして曹洞宗と、日本の主要7宗派では全て講演させて頂いたことになります。そろそろ神龍とか出て、願いを叶えてくれるかもしれません。

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